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客観と主観の仲介者としての実験

最近、バッグのなかに忍ばせて移動中や外出先で読んでいるゲーテの『色彩論』に、最近、僕の考えていたこととかなりの部分で重なることが書いてあったので、メモ。

私の見るところ、知識はあたかも閉じ込められた、しかし流動する水のように、しだいにある水準まで高まり、もっともすばらしい発見の数々は、人間によってよりもむしろ時代によってなされたと言っても過言ではない。ひじょうに重要なことがらが、同時に二人あるいはそれ以上の篤学の士によってなされたりするのはそのためである。前者の場合にわれわれは社会と友人達にひじょうに多くのものを負うているのだが、後者の場合はむしろ世界と世紀のおかげであり、両方の場合にわれわれがいくら承認してもしすぎることがないのは、報告・助力・勧告・異論などが、われわれを正しい道に保ち前身させるためにいかに必要であるかということである。

世界と世紀のおかげ。

いくら用心してもしすぎることがないのは、実験からあまり急いで結論を引き出さないこと、実験から何かを直接に証明しようとしたり、なんらかの理論を実験によって確証したりしようとしないことである。なぜなら、経験から判断へ、認識から適用へと移行するこの隘路でこそ、人間のすべての内面の敵が彼を待ち伏せているからである。想像力は、人間が相変わらず地面に触れていると思っているときにもう彼をその両翼で高い所へ連れ去っているし、性急・早計・自己満足・強情・思考形式・先入観・怠惰・軽率・無定見その他さまざまな名前の敵たちがここで待ち伏せていて、行動する人間だけでなく、すべての激情から守られているようにみえる冷静な観察者をも不意打ちするのである。

想像力の危険性。
以上、科学方法論、「客観と主観の仲介者としての実験」より。

ペダンティック〜(笑)。

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