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8月も終わり。

8月も終わり。
復活の日はまだみたいだけれど(笑)、内田樹, 石川康宏, 著『若者よ、マルクスを読もう』を読み始める。
この本の副題「20歳代の模索と情熱」のように、僕も20代の半ばに小難しい本を(意味も分からず)読み漁っていた時期があって、でも、30代となった今、そんな気力も体力もあるわけがなく、こうやって入門書的なものを読んでいるわけです(笑)。
だがしかし、高校生向けに書かれているこの本でさえ、かなり厳しいのが現実。うーん…
ちなみに、僕が20代に読破した一番難しく、読むのに苦労した本は、スティーヴン・J・グールド,著『個体発生と系統発生』。ヘッケル博士の言葉「個体発生は系統発生を繰り返す」の真意が知りたくて読み始めたのだけれど…
結局、僕のなかに残っているのは「あくまでも過程は結果よりも根源的である」ということのみ(多分)。
でもやっぱり背伸びしてよかったと思うあるよ。20代の底知れぬパワーよ。
うん。
ご無沙汰しております。ご心配おかけしております耳の方は、快方に向いつつあり、入院していた猫(入院していたんです)は帰還し、探していた物も見つかり… というわけでして、復活の日は近いと思われます(笑)。
はい。

なぜか、黙っていたけれど(笑)、iPhone 4、4日目。
3GS と比べて、やっぱりディスプレイがきれい(!)。163dpi → 326dpi(印刷レベル!)だもんなー(ちなみに Xperia は 245dpi らしい)。
グラフィックデザイナー的にも、きれいなフォントでメールやWebを読めることがうれしいし、すっごい小さい字を可読できるのもうれしい(わざわざ拡大したのに興味ない記事だった、を回避できる)。
あと、写真左の 3GS と比べてもらうと分かるように、ディスプレイがより黒くなっている(3GS に奥のモニタが映り込んでいるのを抜きにしても)。つまり、黒もより締まっているわけです。
不満は、ディスプレイが高解像度なだけに、低解像度な画像の粗が見えてしまうこと(笑)。
がっしりしてちょっと重くなったし、平べったくなったので、机などに置いたときにちょっと取りにくくはなったけれど、後はほぼ不満なし。
良いと思います(Apple 歴15年の僕としては)。

先週の土曜は(一度見てみたかった、世界一大きいという)牛久大仏を見に茨城へ。
確かに大きい、けれど、それ以外の感想はなし(笑)。ただ、体内(笑)のシュールさに逆の意味で圧倒される。
うーん。
耳(低音型突発性難聴)ですが、その後、一時回復に向いつつも、先週末にまた不調になり、先日からまた復調、という感じ、いわゆる「三歩進んで二歩下がる」です。
というわけで、復調しつつある今日、試しに最近買った、The Alps『Le Voyage』と、Ous Mal『Nuojuva Halava』を聴いてみたり、ついさっきまで João Gilberto in Tokyo を聴いたり。
うん、間隔をおいて(小音量)で聴く分には大丈夫かもしれない。でも、聴いた直後は、長時間ヘッドフォンを使用したときのような、耳の疲労感(圧迫感)があるのも事実。
明後日の通院で終わりにしたかったけれど、もう少し続くかもなー。
なー。
(音楽をまともに聴けない→元気が出ない→ブログを書けない、という循環だと思われるので、通常更新になるまで、もう少しお待ちください…)


日曜、日光へ。初めての日光東照宮。一言でいうと「品がない」(笑)。豪華絢爛、派手派手、ツメツメ…な感じ。つまり、侘び・寂びは皆無=これも日本。
うん。
音楽を聴いて「歌」や「メロディー」を楽しむことは出来るけれど、「構造」や「テクスチャー」を楽しむことができない、低音が聴こえにくくなると。
というのは、通奏低音がつかめないと「音楽」としてはおもしろくない、なぜなら「構造」的に土台がない、スカスカなものを聴いていることになってしまうから。
(クラシックの名曲の主旋律だけとってつけたポップスの曲に感じる違和感は、構造美を無視して装飾だけ別の単調な構造にくっつけちゃったからだろうなー、関係ないけれど・笑)
そして、低音が(不自然に)ない音には「厚み」や「深み」がない。立体感が失われると、当然「テクスチャー」は不明瞭になってしまう、というわけです。
で、ならば脳内再生で音楽を楽しめばいいじゃないか、となる(?)のだけれど、
音の「テクスチャー」を脳内再生することは難しい(少なくとも僕にはできない)。
んだなー。「構造」はなんとか頑張れば、なんとかなりそうだけれど、音の気持ちいい・おいしい「テクスチャー」はかなり難しい。さらに、両方同時は至難。
つまり、耳よ早く治ってくれ(!)、という話でした(笑)。
はい。
低音型突発難聴(低音障害型突発難聴/急性低音障害型感音難聴)にまたなってしまう。ブログを見ると(こういうときに便利)、4年前と2年前に発症しているから、これで3度目。
今回ショックだったのが、左耳の方が聞こえにくくなっていたこと。前々回、前回では右耳がより悪く、完治後も違和感(実際に聞こえ方が日によって違っていたり)がずっと残っていただけに、今回、例え完治したとしても、左耳にもこの違和感が残るかもしれないと思うと、お、恐ろしい…
日常生活に(ほとんど)支障はないし、音楽を聴けなくなるわけではないけれど、「音」、「オーディオ」という趣味からは、距離をおくことになるのかも。
昨日読んでいた、『談』no.87での長沼毅さんの言葉が過る。
たとえば、アメリカ人は、困難に出会った時になんとかそれを打破しようとする。運命を変えようとするじゃないですか。それは彼らの根本的な姿勢なんだけど、僕は学生に言うんです。やめとけと。変えようとするのは誰でもできる。運命を受け入れる方がはるかに難しいんだよと。でもそれはすばらしいですよ。運命を受け入れると途端に人生が明るくなる。それは奴隷根性だと言われても、いいんだよ、奴隷のカリスマになれと。


先週末、新たに2カ所、吸音・拡散を導入。写真上が猫タワーにコソッと仕込まれた(笑)吸音材、写真下が観葉植物のフィカス・アルテシマ。
これが、想像以上の効果(!)。「低音はたっぷり出ているけれど、ちょっと高域が濁っているような…」というような不満をさらりと解消。
明日は、発注していたアートも来るらしいので、リビングがさらに吸音・拡散的に充実(!)。
うふふ。

(重い腰を上げて、Webリニューアル開始)
先日買った、『サウンドアート ─ 音楽の向こう側、耳と目の間』と『談 no.87 ─ 特集:偶有性』を読み進めているのだけれど、うーん、興味深い…
つづく(読了後また書きます・逃)。
今朝から、朝の音楽は、バッハの無伴奏チェロ組曲にする、という実験(?)を開始。月曜は第1番、火曜は第2番、、、、土曜は第6番、日曜はお休み(他の音楽)、という感じ。
なぜ、そうしてみよう、と思ったのかというと、かのパブロ・カザルスがそのように毎日(日曜はお休みだけれど)無伴奏チェロ組曲を1番ずつ練習していたから、という話をどこかで(かなり前に)読んだか聞いたのを、最近思いだしたから。
思い出したのは、朝の音楽がワンパターン化、だいたいグールドの弾くバッハものなのだけれど、いい加減、何年もこの習慣を続けていると、ちょっと飽きてしまっている感じがあって、かといって、いきなり朝からロックやジャズ、その他のジャンルを聴く気はしなくて、やっぱりバッハで頭をパリっと構築的に起動(?)したいわけですよ。
というわけで、上記のようなことを思い出し、実践してみている、というわけです。
はい。


月曜は、長野にある碌山美術館へ。先月読んでいた『カワイイパラダイムデザイン研究』にちらっと載っていて気になっていた、荻原守衛(碌山)のための美術館。
うーん、確かに「カワイイ」かも、いや「かわいい」かも。なんというか、手作り感というか、小ぢんまり感というか、なんとも穏やかな空気が流れるところ。
美術の教科書に出てきそうな作品群をゆっくり眺める。
帰路は、渋滞50km(!)という見たことのない数字(フルマラソンより長い!)に驚き、疲弊したけれど、美術館の近くのそば屋さんもおいしかったし、良き小旅でした。
うん。


金曜は近くの公園でキャッチボール、土曜は芦ノ湖までドライブ、日曜(今日)は兄が遊びに来るらしい。

GW初日、下北沢へ。レコード屋を数件まわり、お好み焼きを食べ(生ビールを飲み)、レコード屋を数件まわり、帰宅。
そんなGW初日。
(なんだかつぶやき以下のブログになってしまった・笑)
先週の金曜、ウィルコのライブに行ったのだけれど、久しぶりに本物のライブを観た(聴いた)、ライブってこういうことよね(!)、という感じの素晴らしいライブ。
音量も小さくもなく大きくもなく、安定した演奏、気持ちの良いグルーブ、王道と前衛の絶妙なバランス…。全くなんて希有なバンドなんだ、ウィルコ(!)。
というのが前半の感想。
後半は、残念ながらの体調悪化(涙)。すごく良いライブなのに、なんて残念、自己嫌悪の嵐。今思うとロックのライブとしては大きくない音量だったけれど、耳を悪くしてからの僕にはやっぱりキツかったらしい(実は少し前に行ったアルバム・リーフのライブなんかは途中退場だったし)。
以後、ライブは2階席、一回休憩を入れる、を徹底、だなー。
(というわけで、落ちているライブ音源でも聴いて泣くことにします)

いやー、いよいよ今週ですね、Wilcoの東京公演。といっても、僕は上の2枚のアルバムと1冊のアートブック(CD付き)しか聴いたことがないのだけれど。
しかも、一番最初に聴いたのがアートブックの『The Wilco Book』で、これが、ちょっと実験的な、やや音響的なオルタナ(?)で、かなり好みだったので良く聴いていたけれど、色々あって、他のアルバムには手を出さず。
で、数年経って、去年、新譜の『Wilco (The Album)』が出たので聴いてみたら、随分イメージが違って、正統的アメリカンロック、カントリー、フォーク(?)的な感じで驚く。もちろん素晴らしいアルバムだけれど、陰というより陽性な音楽にちょっと馴染めず。
で、半年ほど経って、名盤として名高い『Yankee Hotel Foxtrot』を中古で(同居人が)買い、聴き、うーん、「今まで聴いていなくてごめんなさい!」と謝りたくなるほどの名盤(!)。と同時に、僕的には『The Wilco Book』と『Wilco (The Album)』のギャップに対する架け橋になり、ウィルコに対する理解度が大幅にアップ。
というわけで、ライブがすごく楽しみなわけです。

オウプナーズで見た扇風機がなかなか素敵だったので、その扇風機をデザインしたバルミューダデザインのサイトを見ていると、SmartBase for iPhone に出会い、買ってしまう。
仕事中の BGM が隣室にある Mac mini の iTunes(iTunes DJ)になってから、iPhone アプリの Remoto をよく使うようになり、さらに Twitter も見たりするので、iPhone のちゃんとした置き場所が欲しいなー、と思っていたところだったので。
今のところ大きな不満なし。テンキーアプリ NumberKey もちょっとタイムラグはあるけれど、使えないことはないし。
後は、OS4、マルチタスクを待つのみ(笑)。

CDを載せてみる(その2)。2010年ものは少なくて、ちょっと気になっていたものを中心に買って聴いている、そんな感じ。
少し前に Nico Muhly の『Mothertongue』を久しぶりに聴き返して、やっぱり凄い才能だなー、と思い返し、そういえば彼の前作を聴いていないなー、というわけで、買い求めたのが写真センター、顔ジャケの『Speaks Volumes』(2007年発売)。
現代音楽系ポストクラシカル(?)ですかね。ちょっと難解だったり、キツかったりもするところ(現代音楽的なところ)も多少あるけれど、非常に美しいアルバム。やっぱり凄い才能だなー。
あ、写真には写ってないけれど、同じような理由で買った Hauschka の『The Prepared Piano』(2005年発売)も大変良いです、よ。
つづく。

土曜は、クリエイティブ(ファミリーな)集団にちらっと混ぜていただき、花見。砧公園での花見は初めてだったけれど、みんな幸せそう、でした。
そうか、子供はのりが好きなのか。

Corporate Diversity: Swiss Graphic Design and Advertising by Geigy 1940-1970 を買ってしまう。久しぶりのデザイン萌え(笑)。
この本は「スイスの製薬会社ガイギーのグラフィックデザイン集」なのだけれど、やっぱり僕は、あの年代のスイスのグラフィックデザインが好きなんだなー、と思い直す(?)。
ちなみに、上の写真は背表紙(現物が欲しい!)。

続・幸せ音楽生活。手元にミュージック・ライブラリーがある幸せ、つまり、猫が膝に乗っていようが、聴きたいときに聴きたい曲が聴けるわけです(音楽好き猫ユーザー必須!)。
もちろん、今までも Remoto(iPhone / iPod touch 用アプリで、無線LANネットワークを経由してPC上の iTunes をコントロールする)を時々使っていて、でも、オーディオマニアの端くれとしては iTunes の音質では満足できなかったわけだけれど、だかしかし、Pure Music(簡単にいうと iTunes の音を良くしてくれるアプリ)の出現で、このお手軽+高音質が実現したというわけです。
分かりにくいですね、つまり、iTunes ( + Pure Music ) + Remote で、iPhone がオーディオの高品質リモコン(?)になるというわけです。
分かりにくいですか。今度気力があったら図解しますね(笑)。
無線って素晴らしい。
追記:
素晴らしい、と書きつつも、Pure Music はちょっと挙動不審なところもあるので、次のアップデートを心待ちにしていたりもします(曲間が空いちゃうのも、解決して欲しい!→ iTunes 側の設定でギャップレスアルバムに指定すれば解決するのでした…)。

そういえば、先々週の金曜に、川村記念美術館に行ってきたのでした(写真読み込み系思い出し)。
その日は、久しぶりに天気が良くてですね、外に飛び出したい気分でして、本当はオラファー・エリアソン展がもうすぐ終わる金沢21世紀美術館に行きたかったけれど、ちょっと(?)遠いので、(本当はマーク・ロスコ展をやっているときに行きたかった)川村記念美術館へ。
それでも、「ロスコ・ルーム」は見られるわけで、この存在感は実際に対峙しないと分からない種類のものだし、ニューマンの圧倒的な“面”も感動的だったし、フランク・ステラの作品もまとめてあって見応えがあり、アレクサンダー・カルダーのきれいな発色も見なきゃ分からない、つまり、行ってよかったです。
では。
で、なんで Mac mini を買うことになったのかというと、つまるところ Pure Music を使いたかったからなのだけれど、Pure Music ってなんですか?
Pure Music とは、ハイレゾリューション・ミュージック・サーバー・ソフトウェアのことで、簡単にいうと iTunes の音を良くしてくれるアプリです。
iTunes ってミュージックブラウザとしてはとっても良いんだけど、いかんせん音がいただけなくてですね、まあ、OSを英語仕様にすると、あの「なまくら」な音がかなり「すっきり」するのだけれど、他の音楽再生ソフト、例えば VLC や Play には負けちゃうわけです。
つまり、利便性でいえば iTunes、音のクオリティでいえば Play という構図。そして、そのディレンマを打開してくれたのが Pure Music というわけです。
Pure Music は、別に iBook G4 でも動くのだけれど、メモリプレイを得意とする Pure Music としては、まあ色々と役不足なわけで、それで(やんわりと説明放棄)、Mac mini を買ったわけです。
というわけで、幸せな音楽生活を送っております(!)。
以上。
先週あたりからオーディオ用に使っていた iBook G4 のハードディスクがうるさくなってきて、集中して音楽を聴くことに支障を来すようになっていて、ですね、どうしたものか、HDD交換は(メモリ交換と違って)ちょっと難しそうだし、かと言ってここ一ヶ月ほど気になってしょうがない、PCオーディオに最適らしい Mac mini を買ってしまうほどの勇気(?)もないし、という状態だったのだけれど、続く(笑)…
(今から、ようやく届いたカエターノのドキュメンタリー映画を見るのだ!)

買っちゃいました(!)。詳しくはまた明日…
先日書いた『連塾 方法日本II』に、書いてあったと思うのだけれど、
「腹が立つ」という表現が「頭にくる」、そして「キレる」という風に変化してきている。
だそうだ(意訳)。つまり、「腹」から「脳」にシフトしてきている、ということ。
それを読んで思い出したのが、爆問での末松教授の回で、
腸は第二の脳というより、脳が第二の腸だ。
というような話。ミミズには脳がないのに学習能力(?)などがあり、まるで思考しているかのように振る舞う。腸というのは言わばミミズのお化けみたいなものだから、つまり思考(?)していてもおかしくない、というような話(かなり意訳なので鵜呑みにしないでね)。
さらに、千夜千冊の1345夜『リスクのモノサシ』の参考情報(2)に、
ガードナーは「頭」と「腹」とが別々の推定や判断をしているということをみごとに暴いている。
と書いてあるではないですか(!)、という話。
うーん、なんだか「精神」と「身体」より、「脳」と「腹」という表現の方が良いのかもしれない(?)と思えてきたので、とりあえずガードナー,著『リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理』を読んでみることにしよう。
うん。
ちなみに、「腹が立つ」は義憤、「頭にくる」は私憤、のような気がする。僕の場合。
***
推敲していて、「ムカつく」という表現を忘れていたことに気がつく(!)。となると、「腹」→「胸(ムカつく)」→「頭(キレる)」なのか(?)。うーん…
さっき、「クラムボンのミトさんをototoy事務局にお迎えし、USTREAMにて視聴者参加型の公開インタビュー」というのを見ていたのだけれど、USTREAM + Twitter って凄いなー。色々な可能性を感じる。
リアルタイムってやっぱり良い(強い)。
閑話休題、24bit/48KHzの話。
5月にクラムボンの8thアルバムのリリースが決定! そのアルバムに先駆けてアルバム収録曲、そして前回の野音で初公開され話題になった新曲「tiny pride」を、ototoyで一週間限定フリー・ダウンロード。しかも、HQD(24bit/48KHzのWAVファイル)のフルバージョン!
という太っ腹な、素敵な話。だったので、良い音普及への応援の意味も込め、先行(?)して、クラムボンの配信限定の高音質HQDシングル「NOW!!!」、というのを買ってみたわけです。さっき。
で、聴いてみると、予想通り、通常のCD(16bit/44.1KHz)の音と大きくは変わらない(笑)。これは、坂本龍一さんの『out of noise』の24bit/48KHzを聴いたときもそうだったのだけれど、理由は、僕のDACが16bit/48KHzまでしか対応していないこと、つまり、本領を発揮されていないからだと思う、多分。
というのも、24bit/48KHz対応のDAC(さらに10MHzのクロックを使用)しているスタジオK'sで『out of noise』を聴いたときは、CDの世界とは明らかに別次元の音空間が展開されたし、ビートルズの24bit/48KHz音源のあまりの鮮烈さにぶっ飛んだ、という経験があるから。
で、何が書きたいのかというと、24bit/48KHzは主流になりえるか、ということ。僕としては、もちろんこれからの音楽メディアの主流のひとつになって欲しいのだけれど、一般的な再生環境(?)でどれくらいの差異を出せるかというの点に関しては、かなり懐疑的なわけです(音は iTunes などで簡単に出るけれど、本当のハイレゾリューションな音を聴けていないわけだから)。
で、その答え(の断片)が、クラムボンの無料配信によって(Twitter などでの皆さんの感想によって)、少し分かりそうだなー、と思っているのでした。
まあ、違いの分かるこだわりの人(笑)は、多少高価でも24bit/48KHz、一般的にはMP3という風に落ち着くのだろうけれど。
というわけで(?)、続く。
松岡正剛,著『連塾 方法日本II 侘び・数寄・余白 アートにひそむ負の想像力』を読み終える。途中、うまく理解出来ず、興味を失いそうになるが、岡倉天心やイサム・ノグチなどの興味ある話で盛り返し(笑)、結果、とってもおもしろかったなー。
方法日本の本質を説明するには、芸術と芸能はゼッタイに欠かせないのです。ですから本書の全篇を通して、日本の歴史や現在の文化の根底には「ウツ」と「ウツツ」、「尽くし」と「引き算」、「執着」と「遁世」、「型」と「型破り」といった両極の作用があること、それらがあたかもリバースするように行ったり来たりし、また魔法のように重なっていくかのように組合わさってきたのは、いったいどうしてかという話になっています。
というような内容です(あとがきより)。
自分が理想としてきたデザインの本質は、方法日本、まさに日本的なものだったということに気が付けたことが一番の収穫。これからも「やつし」で行きます。
そして、僕の音楽の趣向についても、ひとつの説明ができたような気が(また書きます)。
もっとも病弱の美というか、弱さの強さというものもあると思いますからね。フォルテではない、ピアノな凄みに向かってください。
僕もその方向でいきたい。

PCオーディオにはどうやら Mac mini が良いらしいぞ、ということになってきている昨今。買えない値段ではないので、欲しくなるのがマニアの性。だけれど、もちろん買っている場合ではないので、現在オーディオ用に使用している iBook G4 のメモリを増設(768MB→1.25GB)して、お茶を濁す(笑)。
で、上の写真は、ついでに買った LaCie iamaKey。USBメモリは、写真上の寿司型のしか持っていなくて、これが実に使いにくい(笑)。ので、ちょっと探していたのだけれど、ようやく出会えた感じ。持ったときのちょっとした重さ、堅牢さ(防水加工とひっかき傷防止加工)が素敵。
USBメモリのデザインは、ある意味なんでもありなので、面白くもあり、難しくもありますなー。
下の下の続き。結果的に、一番心に響いた(というか影響を感じた、または共感できた)のは、松岡正剛+エバレット・ブラウン,著『日本力』。
かつて、日本はものごとを「陰と陽」の両面から、バランスよく、とらえていました。けれども、今の日本は「陽」に偏りすぎているというきらいがあります。すべてに光を当ててしまい、「陰」のほうからとらえることができなくなっている。けれども、日本の文化を養ってきたものを見ようとする時、この「陰」の存在を抜きにしては考えられません。「陰」のよさを知る-それは「自己」や「自我」から解き放たれ、自然と一体化すれば可能です。明かりを消せば、星が見るのです。
エバレットさんのあとがきより。今、抜粋しつつ『陰影礼賛』(?)と思ったりしたけれど、実際に読んでいたときは、『風の谷のナウシカ』の最後のシーンだったり、世に蔓延る(?)気味の悪い一方的な“前向き思考”や、思考停止な“楽観主義”のことを考えてしまう。
前田英樹,著『宮本武蔵 剣と思想』も関連して非常に思うところがあったし。なので、まだまだ自分のなかでうまく纏まっていないのでした。
続く(逃)。

最近は、読書。ジョン・ケージ,著『サイレンス』は一時停止中(笑)だけれど、内田樹,著『日本辺境論』を読み終え、前田英樹,著『宮本武蔵 剣と思想』を読みつつ、西村佳哲,著『自分の仕事を考える3日間 I』を読み終え、松岡正剛,著『日本力』を読んでいる(というメモ)。
感想はまた今度(逃)。
全豪オープン(テニスの話です)が終わった。こんなに多くの試合を(もちろんTVで)観戦したのは初めてで、つまり、ここ2週間、毎日平均3時間は試合を見ていたのだけれど、いやー、おもしろかった(!)。
今グランドスラムで、僕が一番興味深く見ていたのは、選手達のメンタルの部分。僕が学んだのは、「精神には波がある」ということを踏まえての「コントロール(気分転換)の仕方」、そして、「常に冷静であれ」ということ(まあ、当たり前のことですけど)。
「冷静であれ」を、もう少し詳しく書くと、緊張していても、熱くなっていても、凹んでいても、頭のどこかをクールダウンしておくこと、第3者的視点を持つこと。
そんなことを、『バガボンド』における精神面の葛藤を思い出しながら(類似性を検討しながら)、見ていたわけです。
はい。
テニス、好きだなー。

うーん、このジャケット、どうなんでしょうか。アドリアーナ・カルカニョット『パルチンピン2』。
ネットの画像を見る限り、なんだか凄いジャケットだなーと思っていたけれど、最近ようやく届いた(注文したのは去年)実物を見てみると、想像以上にあれだったので(笑)、こうやって書いているわけです。
しかも、印刷が、フルカラー+特色2色だから(お金もかけているわけで)、かなりの力作。アドリアーナのことだから、きっと彼女がアートディレクションしているのだろうなー(多分)。
肝心の音楽は、アドリアーナ・パルチンピン名義で出した前作『パルチンピン』よりも、落ち着いた大人な感じで、新味こそないけれど、かなりの良いアルバム。
というわけで、この内容にそぐわない(と思われる)ジャケットが、僕的には非常に残念なわけなんです。
はい。
(左:タイヨンダイのソロ・アルバムは、非常に残念なジャケット繋がり・笑)
先週の土曜、そして今日の朝から夕方まで、サーバー障害のため、当ブログにアクセスできない状態になっていました。ご心配おかけしました。
うーん、完全復帰したのだろうか。もう一回障害が起きたら、サーバー変更もちょっと考えなきゃいけないかも。
うーん。

向井周太郎,著『デザイン学 』を、がんばって読み終える。同ムサビ出版で同時期に出た白石美雪,著『ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー』がおもしろかったので、気を良くして(?)、気になっていた『デザイン学』も買ってみたのだけれど、うーん、ちょっと僕とは気が合わなかったみたい(うまくコンステレーション=星座を読み解くことができなかったみたい)。
でも、色々と勉強にはなった。再読すべし本。
次は、20代に最も影響を受けた本の1冊、ジョン・ケージ,著『サイレンス』(ちなみに、もう1冊はバックミンスター・フラー,著『クリティカル・パス』)。
30代の僕はどう感じるのだろうか。
一昨日は、友人に誘われ、円盤ジャンボリー(2日目)に。久しぶりのライブ。当たり前だけれど、「音楽ってコミュニケーションなんだなー」と再認識。つまり(?)、出演者のほとんどが知らないアーティストだったけれど、かなり楽しめた(アンダーグラウンドの力を思い知った)、というわけです。
特に、三味線/歌+アコーディオン/歌+前衛的チェロ+パーカッション+サックスのコラボが良かったような。
それと、大き過ぎず小さ過ぎずの音量もよかった(心配していた耳鳴りにもならなかったし)。ただ、会場のS/Nが悪過ぎ(他フロアーからの地響き的低音が恒常的にドドドド…)っていうのはあったけれど。
昨日は、ブルックリンパーラーで打ち合わせ後、友人に誘われ、ホームパーティー(?)へ。ブルーノートジャパンがプロデュースする、音楽、本、そして食という要素が融合した空間、ブルックリンパーラー。良いです。新宿にいることを忘れてしまうくらいに。
はい。

去年ネットで見つけて欲しかったけれど値段が高くて断念した、テトラポッド型のぬいぐるみ=テトぐるみ。
昨日、某所で見つけ、しかも定価の1/3だったので、購入。もちろんオーディオ的吸音のために(笑)。
で、テトぐるみのリンクを張ろうと、ちょっと調べてみると、大変なことになっていたのですねー。そういうことだったのかー。
うーん。

オーダーメイドスタイルのウェディングフラワー専門店「Le Ange BRIDAL|ル・アンジェ・ブライダル」のホームページを制作させていただきました。
ブーケ等ご入用の方は是非(!)。

おけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
富山(実家)は雪です。

大晦日。今年、僕が「最も心惹かれた音楽」を記しておく行為。DMスティス『Heavy Ghost』、カエターノ・ヴェローゾ『Zii e Zie』、ジム・オルーク『The Visitor』が、私的今年の3枚。
後は、スフィアン・スティーヴンス『BQE』と、+2|モレーノ=ドメニコ=カシン『imã』かなー。ちなみに、最近良く聴いているのは、デヴェンドラ・バンハート『What Will We Be』(2月のライブが楽しみ!)と、シャルロット・ゲンズブール『IRM』。
下の写真は、今年聴いていたと思われるCD。レコードは割愛(キッチンの掃除をしなきゃ・笑)。

それでは、よいお年を。
何を書こう。最近、書きたいと思うことがあまりなくて、多分、インプットとアウトプットのバランスがうまくいっているか、もしくは、何も考えていないか(笑)、どちらかなんだろうけれど、いちおう三日に一度はブログを書こうと(ゆるく)決めているので、がんばって書いてみているわけです。
考えていない、といえば、最近、読書量が減っているなー、と思い、後ろを振り返って読み終えた本の山を見てみる。白石美雪,著『ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー』、中田力,著『脳のなかの水分子―意識が創られるとき』、ライアル・ワトソン,著『エレファントム 象はなぜ遠い記憶を語るのか』、アレクサンダー・ゲルマン,著『ポストグローバル』…
多分、この辺は読んだけれどブログには書いていなかったと思う。だけれど、それぞれ大変に興味深く、とってもおもしろかったです=思考停止な感想しか出て来ない始末(笑)。
以前書いた『GIMPのドリル!』の仕事(約半年間格闘してきた仕事)が先月終わって、それのちょっとした燃え尽き症候群なのかもしれない。
あ、そうそう、『GIMPのドリル!』、Amazon では残り5冊なので、迷っている方はお早めに(!)。

もちイタリアーノです。分かりやすく説明すると、ピザトーストのトーストを、もちに変えたものです(だったら、ピザもちって呼べばいいのだけれど…)。
実家でたまに食べていた、もちイタリアーノ。最近、無性に食べたくなって、何回か作っているのだけれど、(前回忘れたトマトものせたし)これで完璧かと思いきや、タバスコがないではないか(!)。さらに、ベーコンじゃなくてサラミだ(!)と思い出す。
というわけで、あと1回は作らねば。
キートンのティラミス、みかんの母のカルメラ焼きじゃないけれど、昔食べたものを思い出しながら作るのって(失敗も含めて)なんだか楽しいのだなー。
うん。

先月のエントリーで「どうなんだろう」的なことを書いていた、グルーポ・コルポの舞台音楽、『イマン』+2|モレーノ=ドメニコ=カシン。
その後、聴くたびに評価は上がり続け、今では「素晴らしい!」に豹変、つまり、毎日のように聴いているわけです。
僕の場合、数回聴いたくらいじゃその音楽の良さが分からないことが多い(だから、試聴が一番危険だったりもする・笑)。
はい。
で、右下隅にあるCDは、同カシンによる『ミチコとハッチン オリジナル・サウンド・トラック Chapter-2』、つまり、アニメ『ミチコとハッチン』のサントラ(第2弾)なのだけれど、上記の『イマン』と同じ、“数回聴いたくらいじゃ分からなかった”系(アニメが好みじゃなかったという先入観が邪魔して?)だったことと、音楽的傾向が似ていたので、載せてみたのでした。
こちらも、もちろん素晴らしい。
うん。

現在発売中、長谷川アンナ,著『GIMPのドリル!』のデザインを担当させていただきました(アートディレクターは鶴林氏)。某プロジェクトとか、合宿とか言っていたのは、この本のことだったのでした。
えー、みなさん、GIMP(ギンプ)というソフトをご存じでしょうか。画像補正やお絵描きもできる(ほぼフォトショップな)グラフィックソフトなんですが、なんと、無料(オープンソース!)という素晴らしいソフトなんです(しかも、Win でも Mac でも使える!)。
ただ、初めて使うソフトって、ちょっと分かりにくい流儀(?)があったりして、すぐに挫折しちゃうことが多いかと思うのですが、そんなときに役立つのが、この初心者向けに丁寧に書かれた『GIMPのドリル!』というわけです。
ちなみに、ここ最近のブログの写真補正は GIMP でやっていたりします。
とにかく、デザインは別にして(笑)、素晴らしく分かりやすい(そして笑える!)本なので、是非(!)。
HI:グラフィックの仕事として、文字や言葉を操作することは必要なのですが、それ以上にイメージの力で、ある種のトーンを作り出す作業が核にあると思っています。そこがヴィジュアル・コミュニケーションの中心であると。
THE NORTH FACE × +81 の Creators' Talk より、グルビの伊藤弘さんのお言葉。
僕の場合、「トーン」のことを「ノリ」と言ったりしているけれど、まあとにかくこの「トーン=ノリ」が核なことは、強く同意します、なのでメモ。
グラフィックデザインネタ繋がりで、もうひとつ。最近知った、graphic-exchange というサイト、素晴らしい(トレビアン!)です。クオリティの高いグラフィックデザインがそこかしこに(!)。

Tumblr で見つけて良いなーと思った「くも」を同居人に作ってもらう。少しは吸音してくれている模様(笑)。
オーディオ的な吸音材は、見た目がよろしくない上に高価なので、その代わりとして、吸音してくれそうなアート的なものをここ数年探しているのだけれど、なかなか気に入ったものに出会えていなくて、なので、「くも」は久しぶりのヒット。
そして、さらに目立たない感じに部屋の角にも吸音材を貼り付ける(写真をよーく見てね)。これで、だいぶ音が落ち着いた気がしないでもない。
でも、まだまだ吸音は足りてないので、これからも地道に増やしていくしかないのだなー。
12月。
昨日は、MPさん、ANさんといっしょに、印刷博物館で世界のブックデザイン2008-09をじっくり観る。その後、神保町に移動し、いもやで天ぷら定食を食し(いもやの天ぷらはなんで時間がたってもあんなに熱々なんだろう)、出版社で見本誌を受け取る。そして、銀座に移動し、GGGで北川一成展を観て、ついでに他のギャラリーも4つほど観る。さらに、白金台に移動し、ミナペルホネンを視察(?)後、お食事会。
充実。
スピーカーケーブルを(MPさんオススメの)LANケーブル(を加工したもの)に変えて数日。当初、音が軽いかも、(加工でミスったか?)と思ったりしたけれど、その後、エージングが進んだため(?)、なかなかの立派な音。
9月にオーディオのレイアウトを変えてからは、長いスピーカーケーブル(5m×2本)が必要になり、それまで使っていたケーブルは使うことができず、とりあえず、リア用に使用していたAETの6N14Wを使っていたのだけれど、その6N14WとLANケーブルの音を比較すると、6N14Wは「上品かつ丁寧」、LANケーブルは「元気よく広がる」、という感じ(今のところ)。
あ、LANケーブルの接続は、バイワイヤー(5m×4本)にしているので、その辺が音に影響しているのかも(LANケーブルは安いからバイワイヤーも気軽に試せちゃうのだなー)。
次は、吸音材。

そういえば、MacBook Pro(13インチ)を買ってもらったのでした。“本体正面のへこみ”の角が、ちょっと立っていて、時々触っちゃうとちょっと痛いのだけれど、そこがまたアップルなんだなー(笑)。
PCオーディオ用に使っていた G4Cube のUSB端子が(数ヶ月前に)壊れてから、iBook G4 をPCオーディオ用に使っているのだけれど、そうなると、リビングでソファーに座って使う Mac がなくなってしまうわけで、まあなんとか iPhone で代用してきたのだけれど、iPhone じゃブログを書く気にもなれないし…などなどで、MacBook が欲しいなーと思っていたのでした。
これでブログの更新頻度も上がることでしょう(ブログ停滞といえば、Twitter や Tumblr も原因のひとつだなー)。
Charlotte Gainsbourg "Heaven Can Wait" from Beck Hansen on Vimeo.
久しぶりに良いMVを見たような気がする。ベックがプロデュースしたシャルロットのアルバム、楽しみだなー。
約半年間がんばってきた仕事が手を離れたので、オーディオ解禁(笑)。さっそくMPさんからお借りしていた Apogee Mini-DAC を試聴中。
常用の CEC DA53 と比べると、「力強い、音が太い、コントラストが高い」という感じ。昔、録音スタジオで聴いた音や、自宅試聴した RME FF400 の音を思い出す。つまり(やはり?)、モニター調。
なので、CEC DA53 は悪く言うと平坦。でも、繊細な音は得意、かな。
というのが、Mini-DAC ポン置きの感想。
明日は吸音材が届く。
今年一番楽しみにしていたアルバムが土曜に届き、何回か聴いてみているわけだけれど、うーん、どうなんだろう(笑)。
僕が予想(想像、妄想)していた方向性とは確実にズレていることが原因だろうけれど、どうもピンと来ない。もちろん悪くないアルバムだし、なんといっても舞踏のための音楽だから、舞踏を見なくちゃなんともいえない、というのもあるわけだし。
あ、グルーポ・コルポの舞台音楽、『イマン』+2|モレーノ=ドメニコ=カシンの話です(グルーポ・コルポとはブラジルが誇る現代舞踏集団です)。
これで僕の持っているグルーポ・コルポもののCDは、写真の4枚になるんだけど、ミルトンのは別にして、お気に入りの2枚、トン・ゼーとカエターノのCDには連名でジョゼ・ミゲル・ヴィスニッキの名がある。で、近作である2枚に彼が参加しているということは、今回の音楽にも当然参加すると思っていて、つまり、ヴィスニッキ+3(モレーノ、ドメニコ、カシン)的なことになることを期待していたのでした。
トン・ゼーの場合もカエターノの場合も、ヴィスニッキと共作することにより(?)、通常のアルバムより実験的(現代音楽的、客観的)なものになっていて、それが僕の欲望にフィットする傾向だったので、ただでさえ好みのモレーノ達が、彼と組むことによってどんな(実験的な)音楽ができるのだろう(!)、という方向性の期待だったのでした。
が、今回は共作ではなかった、というわけです。うーん、残念。
BGM的なんだなー。

昨日、ようやく某プロジェクトの入稿(画像点数、約900点!)が終わり、今は休息、そして明日の色校待ち。でも、本紙色校ではないので、色々と不安。かといって、今は何もできない。宙ぶらりん。
掃除でもしよう。
あ、今年最も楽しみにしていたアルバム(グルーポ・コルポ舞台音楽)、『イマン』+2 モレーノ=ドメニコ=カシンが、入荷(!)、あ、パルチンピンの新しいのも欲しい(!)。
一気に盛り上がる(笑)。
コーノ式のペーパー(紙のフィルタ)がなくなったので、近所には売っていないので、狛江のホリグチコーヒーに買いに行ったのは、2週間くらい前のこと(あ、コーヒーの話です)。
で、ついでに大好きなケニアの豆も買おうと思っていたら、「ケニア4農園・農協セット」というのが売っていて、もちろん買って、今日まで楽しんでいた、というお話。またはメモ。
4農園・農協中、僕的には、ギティトゥ農協とルワセ農協がより好みで、「複雑なフレーバー」とか「かすかなハーブの香味」などが、よろしいみたい。同じケニアでも(例えば同じ日本米でも全然違うように)違うのだなー、と楽しみながら再確認。
今日からは、いつものはちやさんのケニア。農園名は忘れてしまったけれど、今回から農園が変わってよりおいしくなったらしい、ケニア。今や、意識が高い農園・農協(?)などは、麻袋じゃなくて、真空パックで送られてくる、という話に驚いたり。
来週は少しゆっくりできそう。
うーん、休みたい。珍しく仕事が重なっていて、なかなか休みが取れない(ブログも停滞しまくり)。うーん。
そんな中、先週の金曜、レイトショーで「THIS IS IT」を観る。MJは、キングを越えてゴッド、でした。天才を通り越して、神。そのMJの創造の軌跡(奇跡)を垣間見る。MJにとって歌うことは=踊ること、なんだなー。
黒でもなく白でもなく、子供でもなく大人でもなく、男でもなく女でもなく…
あ、どうせ観るなら良い音で、ということで、初めて IMAX で観てみたのだけれど、さすがにさすがの低音(!)。あんな音はマンションでは出せません。
うーん。

続き。で、どれもこれも素晴らしいのだけれど、その中でもあらゆる意味(音楽、アートワーク、映像、その全てのクオリティ)で圧倒されちゃっているのが、スフィアン・スティーヴンスの 『BQE』。
天才だとは思っていたけれど、今回は、何というか、「参りました」という気分。過剰なる天才。
で、このスフィアンのアルバムも含めて、近頃オルタネ系で交響曲的な傾向が多いような気がしていて、ジム・オルークもそうだし、タイヨンダイもそうだし… で、これも、(広義の)ポスト・クラシカル的な潮流なのだろうか。
うん。

CDを載せてみる。古楽系クラシックとポスト・クラシカル、フォークとオルタナ・フォーク… 今も昔も良し。

引き続き、今月末までブログ停滞予定…


仕事遅れ気味に付き、ブログ停滞中…
思い切らないと、できなかった1割がすごく目立つのです。できなかった破綻が強調されて、ほとんどの人が「ここがおかしい」とわかるのです。完成できないものは捨てる。デザインの善し悪しは、そこしかないように思います。
エキサイトイズム、「深澤直人、デザインを語る」より。自分自身がうまくできたなーと思うデザインの場合も、最初に思いついたものがそのまま形となるか、もしくは途中でアイデアをひっくり返したときに多いように思う。
今までの努力が、とか、面倒だから、とか、そういう気持ちを振り切って、思い切らないと。
最近のオーディオ(横位置から縦位置)でもそうだなー。
10月。

合宿終了。でも、本番はこれから、来月が勝負。写真は無関係。


昨日は、ヴァンジ彫刻庭園美術館へ。「回る男」と「聴きたくない(だったっけ?)」が、特に素敵。
明日から関西。家宴、そして合宿。なので、更新は停滞気味になることでしょうよ。

Please listen on speakers, loud ですか、ですよね。ジム・オルークの新譜『ザ・ヴィジター』、全1曲、約40分のインストゥルメンタル。アマルガムと客観的ペーソス。すごく良いんではないでしょうか。
スピーカースタンド、ステンレス製のスパイク受けから、黒檀「ぶっ刺し」に変更。音がより自然になったような。やはり「ぶっ刺し」に限る。後は、重低音がもうちょっと出てくれれば言うことないのだけれど、これがこのスピーカーの限界のような気がしないでもない。
サブウーファー導入か、KEFに戻すか。しばらく様子見。
つづき。スピーカーを大きいのから小さいのに変えたら、その分低音の量も減るだろうと考えていたわけだけれど、それが思ったより減らないのはなぜ。うーん、こんな小さなスピーカーからこんなに低音が出るものだろうか。
というわけで、一応アンプも疑ってみる。仕事部屋で使っている icon を持ってきて音を出してみるが、相変わらず出まくる低音。低音酔い寸前。うーん、引っ越してから半年かけて取り除いたはずの 50hz 前後の定在波が、ここ一ヶ月で復活を遂げたのかもしれない。なんなんだこの謎の復活(!?)。暗澹たる思い。
こうなったら、半ば自棄糞、スピーカーの位置を縦位置にしてみる(スピーカーを部屋の長辺側に置くのが「横位置」、短辺側に置くのが「縦位置」)。部屋の(窓から見える風景も含めての)景色的に出来れば避けたかった縦位置だけれど、しょうがない。
まあ、分かってはいたけれど、やはり縦位置の方がよく鳴る。音が開けた、というか、音が飛んでくる、というか。縦位置ということと、フローリングの木目も(音が出る方向に)縦になった、ということが大きいような気がしないでもない。都市伝説は本当だったのか(笑)。
そして、懸案の 50hz 前後の定在波もきれいさっぱり無くなり、すっきりとした美音になったというわけです。
というわけで、オーディオ的に(あくまでもウチのケースでは)より苦労しないであろう縦位置に宗旨変えしたのでした。スピーカー間 2.2m、スピーカーからソファまで 3.3m、小さな2つのスピーカーから広がる広大な音場(!)。
「スピーカーを置く場所はステージだと思え」という考え方は正しいのかもしれない。
以上、長い長いオーディオメモのつづきでした。

メインスピーカーを、KEF 105/3S から B&W N805 に。ダウングレード。
ちょっと前のエントリーに「オーディオが復調!」なんて書いていたけれど、翌日、それは気のせいだったらしく(涙)、時間を見つけてはちょこちょこといじり始める始末。気分は落ち込むし、気が付くとオーディオ(音)のことを考えている自分。
というわけで(?)、現在進行中のプロジェクトが終わってからの予定だった、スピーカー変更を玉砕覚悟で決行(!)。
つづく(仕事しなきゃ)。

未来(24世紀)のスピーカーなのか。ジャーマンフィジックスチックな。
ここ一ヶ月、実はオーディオが不調だったのだけれど、今日、ようやく復調。この透明感を求めていたんだよ(!)。
不調というのは、スーパーツイーターをいじっていたらやってきた“謎の過剰な低音”のことで、スーパーツイーターの接続を正相に戻そうがまた逆相にしようが、ドゥンドゥン出てくる始末。しょうがないのでとりあえずトーンコントロールで低域を絞るが、重たい空気のような、不透明なもやもやした何か拭いきれないものを感じてしまうので、さらに電源ケーブルの組み合わせを変えてみたりするものの、あまり効果なしのもんもんな数週間。
昨日、以前使っていたキューオン(吸音)くんを試しに使ってみよう、と急に思い付き、リビングの色々なところに置いてみる。すると、スピーカーの間、内側に置くと効果あり、と発見(!)するものの、視覚的に気になる。うーん。
1日寝て悩み、ならばスピーカーのやや外側に置いてあるサーロジックの拡散・吸音パネルをやや内側に移動すればいいのではないか(そしてキューオンくんは撤去すべし)、と閃き、実行したのが今日、というわけです(結果、成功)。
いやー、よかった。ほんと、よかった。音質的にある程度満足いかないと、音楽を聴いていてもついつい音質のことが気になって本当の意味で音楽を楽しめないから。音楽鑑賞が趣味な僕としてはかなりの苦痛を伴うわけです。
オーディオを始めた頃は、音の変化に一喜一憂していたけれど、もうそろそろそういうお遊びは卒業(?)して、安定した音質で、安定して音楽を楽しみたい、と強く思い始めている(素晴らしい音は、他のオーディオファイルのお宅で聴かせていただくとして・笑)。
今やってるプロジェクトが終って暇が出来次第、一度メインスピーカーを805にしてみよう、とか思っていたり。
以上、長い長いオーディオメモでした。

バトルス同様、何かが引っかかるタイヨンダイ・ブラクストンのソロアルバム『Central Market』。
確かにペトルーシュカみたい。そして、ジャケがいただけない(笑)。
ジム・オルークの新作試聴会、行ってみたいけれど、どうしよう。アップリンクだしなー。
「全1曲、約40分にわたるインスト・アルバム」かー。
もん。

今日は、今日分の仕事のノルマを無事夕食前に終えたので、久しぶりに夕食後の音楽鑑賞。最近買ってきた、Castanets『Texas Rose, The Thaw and the Beasts』のLPを聴く(リンク先はCD)。
うーん、渋い。いい意味で。
で、FLAC。このレーベル(Asthmatic Kitty)のLPには、便利なことにMP3のデータがダウンロードできるコードが書かれた紙が入っているのだけれど(※僕が買った数枚調べ)、 今回、このカスタネッツのLPには「FLAC」と書かれたシールが貼ってあるではないですか(!)。
FLAC(Free Lossless Audio Codec)、iTunes 的にいうと Apple ロスレスなクオリティ。つまりMP3より音が良いというわけです。良いことなわけです。
色んな情報(?)を統合すると、デジタル音源系は FLAC がメインになりつつあるのか(も)。うん。
だがしかし、FLAC は iTunes でそのまま再生できないんだなー。うーん、締め出しなのか(?)。
フハさん、いや、元フハさん(笑)、もしもこのブログを見ているのならば、連絡ください!
携帯(番号変わらず)でもメール(challenge は不可)でもコメントでも、なんでもいいので。

お墓参りをすると、じいちゃんの匂いを思い出す。「匂い」と「記憶」の関係は、確かに強いのかもしれない。
しばらく土日のない生活が続きそう。
遅めの夕食後、趣味の時間、音楽鑑賞。オーディオ(ステレオ)の前にでーんと腕を組んで(組まなくてもよい・笑)座って、1時間とか2時間とかただただ音楽を聴く趣味。
今日は、病み上がりの疲れ気味だったので、ハード系は避けつつ手持ちのCDを眺めること3分、Balanescu Quartet『Maria T』を聴くことに。
もちろん美しい音楽だし、現代さと民族的な融合も興味深いけれど、今日の満足度は60%。何かが違う。僕が今求めている音楽ではない。3分迷っている時点で調子が悪いことは分かっていたのでしょうがないけれど(調子がいいときは、自然にCDやLPに手が伸びて、それこそ何時間でも夢中になって音楽を聴いていられるから)。
で、次、聴きたいのはアンビエント系(?)、久しぶりに坂本龍一の『out of noise』(?)、ピアノな1曲目と最後の2曲をプレイリストから消すべし(!)、という感じにいきなり冴えてくる(=無意識的思考)。
音楽を再生(←素敵な言葉)、うん、これ、正解、至福の時間。時折入る鈴虫の断続的な音との関係性も含めて大正解。音響的美。
そのとき本当に求めている音楽を、求めている音質で聴けること、これ以上の快楽は(僕にとってあまり)ない。
うん。

(昨夜、帰ってきました)

Jacaszek『PENTRAL』。最近、よく聴いているのだけれど、なんというか、オーディオ冥利に尽きるのだなー(笑)。
古い教会で録られたパイプオルガンやら何やらまあとにかく色んな音によって構築された音の壁(音の滝?)がガーンと目の前に現れ、それが忽然と消えてまう瞬間、その刹那的快感に溺れているわけです。
こういうのは(ある程度)良い音で聴かなきゃ分かりません。
そして、MPさんに指摘されたスーパーツイーターの正相/逆相接続問題に悩む。確かに逆相だと繋がりがスムーズなのだけれど、妙に重低音が目立ってきてしまう。だからといって正相で良いかというと、繋がりの不自然さに気付いてしまった以上、ちょっと気になる。
うーん、逆相でコンデンサーを変えてみるか。
***
Jacaszek - PENTRAL-the sound of the interior from Michal Jacaszek on Vimeo.

合宿中につき、しばらく更新が滞ります、かも。

whiskeyclone.net :: Exoskeleton! Art by Ham! :: Beck Paper Doll
「ベックの着せ替え」を楽しむ(笑)。北アメリカの人が考案・プログラミング、ハムさんが絵を描いた、という国際プロジェクト。ファンの力は偉大なり。
注意:IEでは動かないそうです!

毎夏、蜩(ひぐらし)の声を聞くと、必ず聴きたくなるのが、スティーブ・ライヒの「エレクトリック・カウンターポイント」。
反復、構造、微熱(パット・メセニー!)。

そういえば、先週、D&DEPARTMENT PROJECT SHIZUOKA by TAITA にふらっと行ってきたのだった。無計画に高速(名古屋方面)に乗り、最終的に着いたのが、ここ。
素敵なお店だったけれど、唯一の不満はエスプレッソ。東京店や大阪店よりも劣る、と思う。なんというか、充実感がないんだな。濃いだけ、というか。
うん。

昨年に続き、暑中見舞いを作成、入稿。上の写真、選考漏れのひとつ、“青森県立美術館の庇部分”を見ても分かる通り、僕は一見何か分からないような写真が好きなわけで、つまり、今回も相変わらずの分けの分からない自己満なデザインになっている可能性が高いですが(笑)、もらってやってください。
というわけで、7月中にはみなさんに届くと思われます。

なんだか買物自慢が続いてしまってますが、買いました、扇風機。初の±0、初のデザイン家電(←懐かしい響き)。
Afterhours さんのブログを読んで、やっぱり無印だよなー、と思い、実際に買いに行くも、扇風機の一般的な背の高さが気になる。というのも、視界的にも機能的にも背の低いタイプが欲しかったから。つまり、サーキュレーターとしても使いたい、収納するときに邪魔にならない、などなど。
で、無印のサーキュレーターを見るが、(当たり前だけれど)首が回らない、回って欲しい。首が回る小型の扇風機もあったけれど、小型ゆえ風量が足りない(デスクトップ用だもの)。
路頭に迷いつつ、ヤマダ電機も覗いてみるが、一般的な扇風機のデザインの悪さに暗澹たる気持ちになり(笑)、値段の関係で選択肢から除外されていた ±0 が浮上(!)。
±0 の扇風機は、背が低いし、首が回るし、風量もある、つまり機能的には完璧で、しかもデザインが良い、かわいい。しかし、価格が高い。要するに、機能・デザインでプラス、価格でマイナス、= ±0(笑)。
というわけで(?)、無印の4倍の価格の ±0 を買ったのでした。
うん。

ちょっとバタバタしています。そんななか、注文していた卓球用シューズが届く。白地にゴールドだから、フェデラーみたいでいいでしょ(彼はテニス選手ですけれど・笑)。
実は、健康のため、週一で、卓球を始めたのだけれど、それらについてはまた今度。

そうかー、9月からヴィム・ヴェンダース監督の映画「ピナ」の撮影が始まることになっていた、のかー。重ね重ね残念。再々、生で見るチャンスをスルーしていた自分を悔やむ。そして、甲野善紀さんの「こういうふうに見事に年を重ねられる女性も存在するのか」という回想を読み、さらに無念倍増。
お亡くなりになる前に見ておこうと思い、ピエール・ブーレーズとジム・ホールは何年か前に見たけれど、喜ばしいことにまだまだ現役でいらっしゃるし、ジョアンは本当に見ておいてよかった、と書くともう死んじゃうみたいじゃないか、不吉な(!)、じゃなくて、まあ、何を書きたいのかというと、とにかく見ておけ、ということです。自戒。
気分が沈んできたので、昨夜のロジャーでも思い出そう。

レジェンドに囲まれる現役にしてレジェンド、ロジャー・フェデラー(慌てて iPhone で撮ったので傾いてますが)。次の全米は、ナダルも帰ってくるだろうし、ロディックもリベンジに燃えるだろうし、、、なんだか楽しくなってきた。
生ロジャーも見ておかないと。

同居人も iPhone に。僕が黒、同居人は白。
昨朝、iPhone で産経新聞を読んでいたら、ピナ・バウシュの悲報が。
それが原因ではないと思うけれど、体調が優れず、寝たり起きたりの繰り返し。今日も同様。梅雨バテなのかも。
それが原因で、僕が興味ありそうなことが書いてある、松岡正剛さんの千夜千冊(1304夜)を読んでも、途中から理解できなくなる。セレンディピティとミスター味っ子についても書きたいけれど、また今度。
三毛猫は「甘えたり、暴れたり、ミステリアスな性格」ですか。当たってるかも。
僕がずるさと言っているのは、もう少し違う言い方をすると、人間の思想とか、政治的立場とか、そういうものを論理的整合性だけで守ろうとするのはもう終わりだ、というのがぼくの考え方なのです。 (中略) 矛盾を恐れないとか、統合性ということはあまり問題にしない。バランスは問題にするけれども…
アマゾンで、Balanescu Quartet の『Maria T』を買ったときに、送料無料にするため、ついでに買った(=カート内にたくさん候補を残してある中から一番安かった・笑)『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』より抜粋。河合さんの発言。
この本が出た当時(1996年)に読んでいれば、20代をもっと楽に生きられていたのかもしれない。まあ、若造な僕には分からなかっただろうけれど(笑)。
デザインもバランス。バランス>整合性・統合性。
あと、「作者が全部わかってつくっているのは、それは芸術じゃないですね。(中略)芸術作品になってくると、作者のわからないことがいっぱい入っていて当然だと思います」という河合さんの発言も、素的。コンセプト負けしちゃってるアートなんかはまさにこれ。
さらに、「ぼくは村上龍というのは非常に鋭い感覚を持った作家だと思っているのです。彼は最初から暴力というものを、はっきりと予見的に書いている」という村上春樹さんの言葉にちょっと驚く。ほぉ〜。
以上、メモでした。無意識・身体>意識、でも可。
iPhone、3日目。こんなに楽しい携帯は初めて。

とりあえず一番やってみたかったことをやってみる(笑)。
つづく。
つづき。写真を撮っていたら、画面の上、右端に色ムラ(というより一部分明るいところ)があることに気が付いてですね、それで、ソフトバンクのショップに電話をかけたら、本日中なら交換してやる、というので、再度ショップへ(泣)。待ちに待って、無事交換。
というわけで、妙に疲れたので「携帯メール変更しましたメール」は、明日送ります(電話番号は変わっていません!)。
やっぱりアップル運ないなー。
iPhone 3G S を予約(もう迷わないように・笑)。というわけで、来週の金曜から携帯のメールアドレスが変わります。電話番号は変わらないけれど。
ここ数日、体調があまり良くない。なんとなくヌボーっとしてて、ブログも書けない。
うん。
先日、爆音映画祭にて、ビョークの公私ともにパートナーである、マシュー・バーニーの作品(映画)『拘束のドローイング9』を観てきたのだけれど、ビョークによるサントラや写真から想像していたものとは、さっぱり違うものだった。
チープ、グロい、長過ぎ、というのが見終わって後の正直な感想(笑)。だったけれど、一緒に観た同居人の「そんなに悪くなかったよ」という言葉も手伝って、というより、気がつくとあの映画のことを考えている自分がいたり(スタジオボイスの特集号を読み返したり)して、やはりそれなりの作品だった、という感想に今は落ち着きつつある。
日本、捕鯨船、日本人(俳優ではない素人さん)、という設定が、日本人の僕としては違和感ありありだった、ということもある。パラレルとしての日本だと思えばいいのだけれど。まさに夢のような。
そしてそして、爆音。やっぱり耳はちょっとおかしくなったけれど、このサントラはやはり素晴らしいと思う。笙、ハープシコード、クロイテルなどの高域の扱い方が特に素敵。ビョークが前面に出てこない(ほとんど歌っていない)ということが、逆に、音楽家としての彼女の才能を再認識させられる、というか。
うん。

サンレコに載っていて、ピナ・バウシュだし三宅純だし、これは素晴らしいに違いないと思い、4,200円という高い壁を乗り越えて買ってみた『フルムーン/ピナ・バウシュの劇場から(V.A.)』。オーディオベーシック誌にて渡辺亨さんがレビューを書かれているのを見て、思い出す。
というのも、なんというかやっぱり舞踏のために選曲されたものだからか、リズム重視というか、DJっぽい(?)というか、つまり、僕好みの曲はあまり入っていなかったから(同じ舞踏ものでもブラジルのグルーポ・コルポのサントラは好きだけれど/新作はモレーノ達が担当だからかなり期待大だけれど)。
それでも、無収穫というわけではなく、特に Balanescu Quartet ものは好きそうなので、Maria T なんかは今度見つけたら買ってみようと思っていたり。
ちらっと写っている高橋幸宏さんのアルバムも渡辺亨さんがレビューされていて思い出した系。pupa が割と好きだった延長で買ってみたのだけれど、もちろん全然悪くない、むしろ良いアルバムだと思うけれど、大好きにはならない系。
ちらっと入っている高野寛さんの曲や歌が好きだっていう話はまた今度(?)。昨日観てきた『拘束のドローイング9』についてはまた明日。

この本が見たくて、何回か(デザイン・アート系の洋書を扱っている)本屋に行ったけれど、なかなか入荷されない(6/7現在)ことに業を煮やして、すでに入荷しているアマゾンで買ってしまう。カールステン・ニコライ,著『grid index』。
約300ページ、永遠と続くグリッドに興奮(笑)。作品であり見本帳であるような中性的な存在。グリッド好きにはたまらない一冊。詳しい内容は、gestalten で。
RESPECT COPYRIGHT, ENCOURAGE CREATIVITY!
おうよ(!)。
フェデラー、生涯グランドスラム達成(!)。第1セット、そして第2セットのタイブレークなんかは、まさにフェデラー劇場(!)。美しく完璧なテニス。あ、全仏の話です。うーん、次のウィンブルドンが楽しみ。
そして、(解説の)柳さん、おもしろすぎ(笑)。
爆音映画祭、今日の『拘束のドローイング9』は見に行きたかったけれど、行けず。まあ、来週があるさ。
でも、そうか、爆音なのかー。耳を悪くしてからは、爆音=大音量に弱くなってしまっていて、最近行ったロック系ライブなんか、その後一週間くらい耳が変だったし、映画館で見た映画もきつかったし。
大音量だから良い、なんていう短絡思考に、ぺっ(笑)。
関係ないけれど、
例えば録音された自分の声は、高く聞こえるでしょう? それに似ていて、ピアノを弾いていても、本体が響いている音って結構低いんですよ。骨を伝わって演奏者の中に入ってくるので。でも、聴いている人に届く音はやや軽くなるので、そこに違和感があるんですよね。だからその部分を補強したくなる。ほかの楽器についても、アーティストの方に楽器を触らせていただいたりして、音を体で覚えてミックスしました。だからほかのCDと比べるとたぶん低域が多くて、一般家庭のスピーカーからはストンと出てこない音になっているかもしれません。でも、演奏家が聴いている音はこっちだと。
moonlinx より。アーティストが聴いている音かー。というわけで、高木正勝さんの新作はちょっと聴いてみたい。
ちゅう。


しばらく更新が滞ります、かも。

昨日は、リス園後、府中市美術館にて「純粋なる形象 ディーター・ラムスの時代―機能主義デザイン再考」(サントリーミュージアムでやっていたやつです)。
ディーター・ラムスというか、ブラウンというか、まあとにかく萌えました(笑)。シンプルとか、美しいとかいうより、かわいい、かっくいい。
だがしかし、これはアートではなくてプロダクトデザイン。触りたいし、使ってみたい。そうじゃないと、評価はできない。とも思ってしまう。音はどうなのか、とか。
とにかく、それ以上でも以下でもない感動。
ちなみに、家の唯一のブラウン製品である掛け時計も(外枠ガラス付きだったけれど)展示されてたり。
うにゃ。

という内田樹さんのブログのエントリーを読み、興味を持ち、池谷裕二,著『単純な脳、複雑な「私」』を買い、読み、読み終える。
うーん、おもしろい(!)。というか、ずるい(笑)。僕がここ数年読んできた“脳本”のおいしい要約というか、僕程度が脳について理解できる範囲としては、これ一冊でいいのかもというか。しかも、高校生に向けて書かれている本だから分かりやすいし。
ずるい。
甲野善紀,著『剣の精神誌―無住心剣術の系譜と思想』(増補改訂版)を読み終える。思いっきりマニアックな内容だけれど、僕なりに得るものはあった、というより大変におもしろかった。
この本は、「一千回を超える他流との試合に一度も敗れなかったという桁外れの記録(時代は違うが武蔵でさえ六十余度)を持っていた剣客」なのに「日本の剣術史のなかで抹殺されたに近い扱いを受けてきた真里谷円四郎(無住心剣術三代目)という異端の天才剣客の成立の過程と、その背景に焦点を当てて、世界に類をみない剣術を骨格とした、日本の「武」の精神文化史」について書かれているのだけれど、、、いやー、おもしろい。
「剣術とはただ人に勝てばいいというものではない。生命をかける大事に直面した時、真に自分自身が納得できる決断と行動をとれるようにする術である」
という(上泉伊勢守の思想を受け継いでいるように思われる)佚斎樗山の主張とか(その樗山の『猫の妙術』も素敵)。
というわけで(?)、これからも甲野さん(とその息子さん)に期待。



生きた伝説である電源エヴァンジェリスト氏の自筆記事が載っているということで、『ラジオ技術』誌を初買い。
この雑誌のマニアックな内容にはもちろんついていけない僕だけれど、唯一「ペーパークラフト “ミニパラゴン”を作る」という記事には驚き喜ぶ。あのJBLの名器「パラゴン」(スピーカーです)を紙で作ってしまうらしい(!)。これは凄い、楽しい。
だがしかし、よく読み込んでみると、すでに連載の4回目、作るにも高度なテクニックと知識がいるみたいで、挫折、残念。
うーん。
あ、2枚目の拡大写真、よーく見てみると「ペーパークラフト」ではなく「ペーバークラフト」になっているではないかー(!)。単なる誤植だとは思うのだけれど(笑)、こういう雑誌なだけに、「ペーバークラフト」という僕の知らないクラフトがあるのかもしれない、だって見出しで堂々と言い放っているわけだし、とか無駄に想像してしまうのでした。
うん。

今日は、注文していたメモリが届いたのでさっそくぶっ刺して、2.5GBに(2Gで6,000円って安いなー)。で、その快適になったであろう iMac G5 を使い倒してみたかったけれど、今日のお仕事は QuarkXPress が中心だったのため、PowerBook G4 で作業。
つまり、旧OSが使用できる最後の iMac をわざわざ買ったわけだけれど、結局、ただでさえ不安定な OS 9 を X 上(Classic)で動かすのは所詮無理な話(動くことは動くけれど、仕事で使うとなると問題外)。というわけで、OS 9 を使う場合は PB G4 を使っているのでした。
こんなことならインテルにしておけばよかった。
と、こうやってブログを書いているのは iBook G4 だったり、音楽を再生しているのは PowerMac G4 Cube だったりの、無駄(?)に Mac だらけの我が家。
ちなみに、同居人も PowerMac G4 と MacBook Pro を持っていたり。


フラードーム(!)、じゃないですか(多分)、こんなところで出会えるとは、というのが三内丸山遺跡でのファースト・インパクト。遺跡保護のために活躍中みたいだけれど、そして、そのために軽量にして頑丈、且つ安価(最小の表面積で最大の体積を誇るからね)なフラードームを選んだのは賢い選択だと思うけれど、せっかく「再現されている原始的な風景」にはちょっと浮いてしまうというか、どうなんだろー、と思いきや、


「なんとなく似ている」ということに気が付いたのでした(笑)。両者とも中に入ると意外に広い、という共通項もあるし。
竪穴住居、写真の通り中は暗いのだけれど、思いのほか心地よかったり、だったり。
うん。

僕の新しいワーキングチェア。ウィルクハーン Aline Stackable chair 230/1(無論中古)。これは、本来カンファレンス系の椅子なのだけれど、僕が仕事用の椅子として探していたのは、まさにこんな感じ。
先日、森美術館『万華鏡の視覚』展、最後の“チベット僧らが問答する(?)ムービー”を見ているときに座っていて、「おお、なんだかこの椅子いいなー」と思ったのが、これ(色は黒だったけど)。外見は軽やかでいて、作りはしっかりとしながらも、メッシュとフレームによるある程度の弾力・遊び。良い感じ。というより、僕の身体にピタッとくる(!)。
というわけで、家に帰ってさっそくネットで探して注文して届いたのが、さっき。値段は思ってたよりは高くついたけれど(僕は定価の65%で購入)、良い感じ。
懸案だったメモリ(ホント、安くなりましたねー)も注文したし、後はバリバリと仕事するのみ。
蛇足。『万華鏡の視覚』展でのカールステンの作品はどうかと思ったけれど(笑)、この本はちょっと欲しい。グリッド好きとしては。ね。

今日は、横浜美術館。『金氏徹平:溶け出す都市、空白の森』展。個人的には平面より立体作品、特に「Splash & Flake 」が素敵。欲しい。
写真は、本日の関連イベント、アーティスト・ユニット COUMA による「卓球大会」。MPさんの勇姿を目に焼き付ける(笑)。
卓球とアート。懐かしいなー、うずくなー。


十和田市現代美術館。設計:西沢立衛。コンセプトが「新しい体験を提供する開かれた施設」だそうで、で、まさに「開かれた」、そして「ポップ」な美術館。
行く前に、西沢氏お得意の(?)「大小の建物が並ぶ感じ」のせいで、美術品の搬入が大変らしい(つまり使い勝手やメンテナンスのことを考えない建築家の造形的エゴ系建築なのか?)という話を聞いていたので、どうなんだろうなー、と思っていたけれど、実際、外から眺めて、中に入って、アートを見て回り、結果、すごく楽しい(!)。
そして、アートも素敵なものが多い(と思う)。特に、ロン・ミュエク『スタンディング・ウーマン』と、栗林隆『ザンプランド』、最高。
来年には、道を隔てて向かい側に「アート広場」も出来るそうで、「官庁街通り全体を美術館と見立てる」という市の全体構想も着実に進んでいるみたい。
十和田に期待(直島がアートの聖地になったように)。


青森県立美術館。設計:青木淳、VI:ブルーマーク。雑誌など写真で見る限り、なかなか素敵そうなところだと思っていたけれど、うーん、どうなんだろう、写真で見る以上の感動はなかった、みたい。
下の「あおもり犬」とか、シャガールのバレエ「アレコ」の背景画など、巨大なものには(それなりに)感動したものの(関野凖一郎、特に『堀口大学像(1979)』も良かったものの)、他の作品、特に現代アート系が、ちょっとどうなんだろう、というのが(僕の個人的な)感想。
うーん、どうなんでしょうか。



一泊二日青森の旅、より昨夜帰還。青森県立美術館、三内丸山遺跡、十和田市現代美術館、奥入瀬渓流、十和田湖。
十和田市現代美術館と、チラ見しただけの(笑)奥入瀬渓流が、特に素敵。詳細は(得意の)後日。
青森、きれいなトコ。


平城宮跡後、スリランカ料理を食べ、大阪に移動し、国立国際美術館にて「杉本博司 歴史の歴史」。
杉本博司氏の作品は、その完成度の高さ、コンセプトの明確さからもちろん好物なのだけれど(新作の放電場シリーズの毛細血管のような細部にも驚いたけれど)、この展覧会ではやはり氏の歴史的な、多種多様な収集品がおもしろい。さすが、古美術商(でもあるそうです)。
どれもこれも興味深いものばかりだったけれど、僕が気になったのは、ニコライ二世やトロツキーのサイン入り写真とか、A級戦犯の顔写真とか、アポロ計画宇宙食(1969年もの!)とか、隕石とか、ニュートン『プリンキア』初版本とか、銅矛とか、十一面観音とか、「大ガラス」の地図とかとかなどなど。
展示物、そのもの自体にとても魅力を感じるし、氏のインスピレーション・ソースを垣間見る、という側面もあるし。
うん、興味深い。
あ、写真は杉本氏の海景シリーズを見てしまうと海を見るたびにどうしても撮ってしまうことになる写真(笑)、沖縄編。



先週の日曜は、平城宮跡。まず、これだけ広大な平野にほとんど何もないという光景が、得難い(笑)。
それに、閑散とした謎多き展示スペース、さらに、所々で子供連れの家族が野球をやっていたり、敷地のほぼ中央を電車が横断していたりの、“ゆるゆる”な場所。
でも、なんだかとっても素敵なところ、でした。うん。

先週の土曜は奈良、sonihouse にて「音」と「食」の高度な家庭的おもてなしを目指すイベント「家宴」。うーん、楽しかった(4回連続参加で「家族」認定も受けれたし)。
それにしても、popo のライブ、すごく良かったなー。トランペット(ときにリコーダー)、トランペット(ときにシンセ)、オルガンの3人編成で、シンプルなかわいらしいメロディー、そして静かなグルーブを紡ぎ出していくのだけれど、それが sonihouse 主催のMPさんが仰るように、「滋味(豊かで深い精神的な味わい)」なんだなー。
ベテランだからできる、弾きすぎない美学、一音一音慈しむように、でもただ丁寧に弾くだけでは得られないグルーヴ、ありそうでなかった(出来そうで出来なかった)音楽。
そして、その音楽を聴いた「場」が sonihouse だったということが、さらに一段(二段?)と popo の良さを引き出しているように感じたのだけれど、それは、普通の家ながら、音響的に調整されたオーディオ機器、部屋だからこそ、だなと。抑制された生のトランペットの音ももちろん柔らかくて良かったけれど、特にオルガンの低音、濁りなき低音がとっても気持ち良いものだったなー。
もちろん「食」も相変わらずの素晴らしさ(鶏と筍の煮物がめちゃうまかった)。うん、奈良まで行く価値(少なくとも僕には)あり。
あ、写真左が買ってきた popo のCD『Kibito』。
土日、奈良、大阪。とっても楽しかったのだけれど、相変わらずの体力のなさ、今日はオフ。詳細は後日。
昼に起きて、ぼーとしながら音楽を聴いていて、今、すごく感動しているのですけど、えー、カエターノの新譜です。発売した先週に聴いた感じでは、僕的にかなりの低評価だった(ので何も書かなかった)のだけれど、それは、(以前に書いた)なかにし礼さんが端的に仰ってらっしゃること、「自分の幻想を満たしてくれる」ものではなかったから、なんだけど、さすがはカエ様、僕の期待をきれいに裏切ってくださったわけです(!)。
MPさんが他のバンドを形容して仰っていた「滋味」という言葉が、このアルバムにもぴたりと当てはまる、と思う。
深度が増しているんです。

福岡伸一,著『動的平衡』を読む。以前読んだ『生物と無生物のあいだ』が分かりやすく・面白かったので買ってみたのだけれど、まあ、似たような内容(笑)、でも(もちろん)面白い。
ここに記憶というものの正体がある。人間の記憶とは、脳のどこかにビデオテープのようなものが古い順に並んでいるのではなく、「想起した瞬間に作り出されている何ものか」なのである。
とか、「人間は考える管である」(ミミズといっしょ)とかとか、などなど。「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」のだなー。
それにしても、象と鯨が(超低周波の声で)語りあっている、という話には驚いた(!)。今年中に刊行されるという『エレファントム』(そして『思考する豚』)が楽しみ。
うん。



昨日は久しぶりに恵比寿。KAPITAL で勝負靴下(笑)を買い、limArt で本を漁る。
その後、limArt annex にて YUKI 2009 autumn/winter exhibition 、素敵な発色。つなぎっぽい服が良かったけれど、僕は男なので着られない、そんな感じに服を眺めつつ、Afterhours さんのドリップコーヒーとカステラをいただく。
このような展示会でおいしいコーヒーをいただけるというのは、色んな意味でとっても良いことだと思う。今後の Afterhours さんのご活躍を影ながら祈ってみる。
うん。
写真(上2つ):同居人

桜舞う近所の公園にて、昼ごはん。それだけ。
結局、北が発射したのはミサイルだったのか、人工衛星だったのか。民主党の小沢代表の秘書の件、ライブドア元社長の堀江さんの逮捕後初会見の件など(など)だって、よく分からない。
メディアを浅く斜めに読んでいるだけだと、「ミサイル」で「辞任せよ」で「何言ってんだか」になるんだろうけれど、ちょっとネットで調べてみるだけで、何を信じていいか分からなくなる。
メディア操作的なことは、ある事象を表現しようとすると少なからず「操作」が入ってしまうのは仕方がないことだけれど、ドイツオープンで優勝した平野選手より1回戦で負けた「サイフをスラれた」愛ちゃん(卓球の話です)の方が扱いが大きかったのは、やはりおかしい(怒)。
斜に構えて行こう、という話でした。

昨日は、アイデアに行き詰まったので、気分転換、東京都現代美術館、池田亮司展。
うーん、マッチョ(笑)。そして、ストイック、、、(うまく書けないので一日置いてみる)。が、うまく書けないのであきらめる。なんだろう、 [ the infinite between 0 and 1 ] というタイトルの通り、“その間”にあるのかもしれない(抽象逃げ)。
あ、「マッチョ」という表現は、MPさん・ANさんといっしょにサントリーミュージアムに行ったときに獲得した表現で、『インシデンタル・アフェアーズ』という現代アート入門的な展覧会だったのだけれど、ほとんどの作品がタイトル通り(ある意味/良い意味で)「とるに足りない」ものだったのに対し、ひとつだけ場にそぐわないマッシブ(!)な宮島達男氏の作品があり、それに対してMPさんが「マッチョ(笑)」だと。
若い世代のアートの潮流が、ある種の「軽さ」を持っているように感じていて、それは音楽の世界にもいえることだと思っていて、要するにハングリーだとか真摯さだとか狂気だとか、そういう圧倒的なものでもってどうこうするのではなくて、日常的に潜む、あれにあれするみたいな「軽い」衝動でいいんでじゃないの、、、
うーん、自分で反論できちゃうなー(笑)。また書きます(逃)。
あ、写真は現代美術館地下駐車場にて。
最近よく思い返す言葉があって、それは「観客にお芝居を見せる目的な何でしょう?」という問いに対する犀川先生の(2つあるうちの1つ目の)答えで、芸術性、つまり「演出して観客が喜んだり驚いたりする、その反応が目的」、要するに、
「他人の感情を一時的にでもコントロールすることは、ある意味で人間の欲望を刺激する」
ということなのだけれど、「コントロールする」なんていうと、なんだか悪っぽいイメージ(笑)が先行しがちに思っていたけれど、喜ばせたり、幸せな気持ちにさせることも、ある意味「コントロールしている」のだなと。それが「欲望を刺激する」のだなと。
そんな僕も、このエントリーを読んでもらって「なるほど〜」という感じに、他人の感情を「コントロール」したいのかもしれない。
コントロール。

奈良にて。
奈良、sonihouse、新しくなったサウンドシステムを聴く。初代の黒い子と比べ、サイズの拡大、ユニット構成の変更、構造的な強度向上など、バージョンアップした十二面体スピーカーを中心に、トランス追加などのさらなる電源対策が施されたシステムを聴かせていただく。
まず、力強さ。以前は、ただただ心地よい、漂うようなナチュラルなサウンドだったように記憶していたのだけれど、今回は、線的、芯的な表現が強化され、音の存在感の向上に繋がっている、ように感じる。
そして、広くなったサウンドステージ。以前は、部屋の1/3くらい、スピーカー周辺にサウンドステージが現れ、あたかもそこの空間で音楽が鳴っているような、客観的なものだったように記憶していたのだけれど、今回は、部屋の2/3くらいまでサウンドステージが(密度を増しつつも)広がり、音楽との関係がより深まった(?)、ように感じる。
さらに、ウーファー部も新たに作る計画があるそうなので、うーん、どうなっちゃうんだろう、楽しみであります。
(MPさん、ありがとうございました!)
金曜は音と戯れる会、土日(と今日の午前中)は奈良、大阪。さきほど帰還、詳細は後日。取り急ぎ。
あ、家を数日空けると猫が必ず何かいたずら(仕返し?)をするのだけれど、今回は「風呂場にうんち」。
く、くさい、ひ、ひどい(笑)。
今日は昼過ぎから視界に光る線上のものがウヨウヨと這い回ってきたので、急遽、目を休めることにして、後は、ただただ音楽を聴いて過ごす。
バッハ『フーガの技法』の弦楽四重奏バージョンから始まり、コダーイの『無伴奏チェロソナタ』、リサンドロ・アリスティムーニョ『39°』、アントニオ・カルロス・ジョビン『テラ・ブラジリス (テハ?)』、DMスティス『ヘヴィ・ゴースト』、セロニアス・モンク『プレイズ・デューク・エリントン』、『ソロ・モンク』、夕飯を食べ、Φ Mika Vainio
『ATAK012 OLEVA』、コーネリアス『SENSUOUS』、カエターノ・ヴェローゾ『カエターノ・ヴェローゾ』、そして今が、坂本龍一『out of noise』。相変わらずの支離滅裂。
オーディオ、これでいいかも。前回メモ後、また色々(電源タップには花梨を貼りました)といじるが、試しに(初めて)やってみた“スピーカーケーブルを浮かす”(床に直接触れないようにする)という技が、気になっていた“詰まった感じ”の打破に繋がったのが驚き(!)。
うーん。

前に書いた、DM Stith『Heavy Ghost。見事にハマってしまい、EP(
『Curtain Speech』)も、LPも買ってしまう(←さっき届いた)。
うーん、これがファーストアルバムってうのが驚き。世界観が完全に構築されてるのだなー。なんというか、フォーキーでアシッドでチェンバーでゴシックなんだけど(いやオーケストレーション的か?)、まあ、もちろん言葉では言い表せないのだけれど、とにかく、素晴らしい。
本業が、グラフィックデザイナー/イラストレーターらしいっていうのもなー。うーん。
あ、LPには彼のミニ画集(写真右)がついてきます。なかなか素敵。さらに、MP3音源(ネットでゲットできるコード)も入っているみたい。僕は(CDも持っているので)いらないけれど(笑)。
<追記>
LPの2枚目、D面にEPが収録されているではないか(!)。というわけで、ターンテーブルを持っているのだったら、LPがお買い得。最近のレコードにしてはなかなか音も良いし。
<追記2>
CDにもミニ画集(CDサイズ)がついていた!(さっきCDを落としたときに出てきて気が付いた・笑) 3/20
ここ2週間のオーディオメモ。実験と検証、推論と実行。この行為を楽しめるかどうか。それがマニアとの分かれ道(僕にとっては苦行・笑)。
まずは、スピーカーケーブル。オルトフォンのSPK-3900(¥1,890/m)から、AETのSP-400(¥2,520/m)に変更。最初、解像度も上がり、高域も低域もより出る方向だったので、採用(!)かと思いきや、日が経つにつれて何となくぼんやりとした傾向に。解像度もあるし、空気感もあるのだけれど、音の芯みたいなものが希薄(あくまでも僕の環境下では)。ということで、元に戻す。
元に戻すが、何となく納得がいかない。オーディオは不可逆。例えオーディオが変わらないとしても、僕が変わる(AETの解像度と空気感を聴いてしまったからだろう)。そこで、またスピーカーの位置をいじり始める。ある線を境に、音の締まりは良いがなんだか詰まった感じ/響きは良いがちょっと軽い感じ、というダブルバインドに陥る。
スピーカーを前後すること数日、試しに発売したばかりのオーディオ・ベーシック誌付録のオーディオ・チェックCDをかけてみると、50Hz前後にピークがあることが判明(!)。なるべく収まるように、色々と対策。スピーカーの下にボードを再び敷いてみたり、吸音拡散板の後ろにさらに吸音材を忍ばせてみたり、などなど。
そして、もうひとつずっと気になっていた電源問題についても着手、新たに電源タップを導入してみることに。というのも、引っ越して以来、ケーブルの長さが足りなくて全てのオーディオ機器の電源が1つの電源タップに入っていたから。これはよろしくない。でもお金がない、そうだ自作しよう、でも知識がない、ということで、オヤイデの電源タップキットを買い、初めての自作(堅いケーブルと戦いながら)。
電源タップを導入。なんだか音が緩い(?)。全体的に、というより音の芯が響いているような。自作のため、何か間違っているのかも、という不安がよぎるが、エージングで良くなるだろう、ということにして寝たのが昨日。
今朝、やはり何か変。ちょっと気になっていた、タップの後ろにくっつけていた地震用粘着性震動吸収材(?)を剥がしてみる。すると、音が激変(!)。珍しく同居人も同意するほど音が良くなる。音が「開けた(ひらけた)」というのがもっと近いニュアンス。
堅いケーブルに対してタップがあまりにも軽かったので、変な方向に向かないように粘着性震動吸収材(振動を吸収するから音にも良いだろう)を付けていたのだけれど、こんなことでこんなに変わるものなのか。うーん。
というわけで、ようやく安心して音楽に浸れる、はず、今度こそ(笑)。

私たちは感知したものをそのまま目にするのではない。感知したと思うものを見る。意識上に上るのは解釈であって、生のデータではない。意識されるはるか以前に、無意識のプロセスによって情報が処分され、その結果、私たちは一つのシュミレーション、一つの仮説、一つの解釈を目にする。しかも私たちに選択の自由はない。
トール・ノーレットランダーシュ,著『ユーザーイリュージョンー意識という幻想』より。意識に“上る”っていう表現より、“下る”っていう気分。
私たちの経験する事柄は、意識される前に意味を獲得している。
同上。「現実とは、一つのシュミレーション」。忘れがちだけれど。
坂本龍一さんのニューアルバム『out of noise』が発売されましたね。ちょっと聴いてみたいな、ぐらいの気持ちだったのだけれど、「高音質配信は48khz/24bitのCD以上のクオリティにて実施します」というのを見つけてしまい、(応援の意味も含めて)買ってしまう。
それにしてもこのアルバム、販売形態がえらい。CD(パッケージレスと豪華版)、LP、ダウンロード(MP3とAIFF)と、よりどりみどり(しかもカーボンオフセットだし)。フォロワーが続きますように(祈)。
こちらで試聴できる模様。
うん、静謐。
ヒゲを剃る。フリーになってから伸ばし始めたから、約3年間のヒゲ。さらば。
というわけで(?)、ジュリアン・ジェインズ,著『神々の沈黙ー意識の誕生と文明の興亡』を読み終えたのだけれど、うん、アメージング(!)。久しぶりの知的興奮。
本の内容は、1年ほど前の内田樹さんのブログを読んでね(笑)。簡単に書くと、「人類に意識が生じたのは、わずか3000年くらい前だったんじゃないの」ということ。
というわけで、次は、トール・ノーレットランダーシュ,著『ユーザーイリュージョンー意識という幻想』を読み始める(その次はリベット?)。
“意識”っておもしろい。いったいなんなんだろう。

Safari 4、さっそくインストール。確かにちょっと速いし、色々と便利。いい感じです。それと、iPhone の値下げ(!)。ずっと迷っていた僕としては、うーん、どうしよう。
閑話休題。沖縄の聖地のひとつ、斎場御嶽(せーふぁうたき)に立ち寄ったのだけれど、なんというか、当然観光地化されているわけで、そうなると、僕の感度の低い感性には、“神聖さ”みたいなものを感じることがちょっと難しくなるわけです。
それと、帰りの機上で読了した、ジュリアン・ジェインズ,著『神々の沈黙ー意識の誕生と文明の興亡』的な興味の対象として見てしまっていたというのがあるかも。装置としての聖地、儀式。これについては、また今度書きます。
聖地といえば、神長官守矢史料館のすぐ近くにある祠(リンク先一番上の写真の奥)には、感度の低い僕にも充分に感じるものがあったなー。結界の中は空気が違うというか(プラシーボ的な差異なのか?)。
むん。

初東シナ海。昨夜、沖縄より帰還。あちらは春を通り越してもう初夏的な陽気(最高気温27℃!)。暖かいというよりもう暑くて暑くて、日焼けまでしてしまう。
一泊二日の短い滞在だったけれど、行きたかったところにも(ちょこっと)行けたし、会いたかった人にも会えたし(アリメさんありがとうございました!)、うん、良い旅でした。
それにしても、アリメさんに連れて行ってもらったお店、いゆじはおいしかったなー。沖縄で捕れる(名前も聞いたことのない)魚の刺身、新鮮なもずく、〆骨汁(!)。料理が美味し過ぎなので、ついつい泡盛(咲元、宮の華?、龍)を飲み過ぎてしまうくらい(笑)。
また書きます。

LV600、導入(約)1ヶ月。ようやく落ち着くところに落ち着いたかも。
導入当初、狙い通りブーミーさは皆無になり、音像は締まり、解像度も驚くほど向上(!)、その予想以上の効果に喜んでいた、が、数日後、なんだか聴いていて楽しくない、のはなぜ。特にクラシック、高域がきつい(?)、というか。
そのことに気がついてからは、まあ色々といじってみるわけですよ。スピーカーの設置方法だったり、電源の取り方だったり。で、またもとに戻したり(笑)。
色々とトライした結果、ひとつ解ったことが、“もっとも響きの少ない場所にスピーカーを置いていた”ということ(それは当然といえば当然で、もっともブーミーさが目立たないところに置いていたのだから)。
そのことが解ってからは、後はスピーカーの設置位置の問題であって、後ろに下げたり、間隔を狭めたり、打ち振りを調整したりのそんな感じのちょこちょこな1週間。
で、現在、高域のきつさ(?)はなくなり、適度に響くいい感じの音になった、というわけです。
つまり、LV600 を導入して終わり、じゃなくて、LV600 はスピーカーの位置の自由度を上げてくれるアイテムであった(あくまで我が家のケースですが)、というわけです。
それで、ようやく君のオーディオは安定したんだね、と思いきや、ある情報筋(笑)からスピーカーケーブルを変えたら「音が激変した!」という情報が、しかも、そのケーブル、偶然(?)にも“持ってはいるけれど使っていないケーブル”じゃーないですか(!)。
というわけで、まだしばらく遊べそうです(笑)。

久しぶりの僕的ど真ん中ストライク。こういうのを聴きたかった、こういう音楽を待っていた、という感じ。DM Stith『Heavy Ghost』。
最初、PVを見て、何となく良さそうなだなーと思い、次に音のみの試聴で購入決意。フリーフォークの亜種とでもいえばいいのか、そういうフォーク的なギター、ヴォーカルに色んな要素が入り混じってる系。そして、まさにゴーストっぽい(笑)コーラス、空間を渦巻くコーラスが印象的。レーベルは、Asthmatic Kitty(喘息の子猫←かわいそう!)。前に書いた Welcome Wagon もこのレーベルだし、うーん、要チェック。
というのが、1回聴いた後のインプレ。この後、ハマるのか、どうなのか。期待と不安の入り混じった心境(?)。
あ、となりのCDは、僕的ど真ん中ストライク繋がり(笑)、オス・リチミスタス。こちらは“2007年的”(でも、もちろん今でもコンスタントに聴いてますよ)。
来週、所用で沖縄に行くのですが、自由時間(?)が数時間しか取れそうにないので、あれなんですが、「ここに行っておくといいよ」というのがありましたら、コメント・メールなどで、教えてやってください(ちなみに、時間的理由により那覇市周辺限定です)。
沖縄美ら海水族館、ちょっと行ってみたかったけど、遠いみたい。うーん。

今日は吉祥寺へ。その帰りに渋谷へ。ハチ公口を出てスクランブル交差点で信号待ちしているといつも思うのだけれど、なんだか戦(いくさ)の前みたいだなー、と。信号が青になると、向かい合う何百人もの人たちが一斉に動き始めるわけですよ。僕も心の中で雄叫び(うおー!)をあげながら突き進むわけです。
はい。
このあいだ、グラミーを斜め見していたら、ロバート・プラントとアリソン・クラウスのパフォーマンス(ライブ)があって、「ロバート・プラントは今どんな感じなんだろう的関心」で何気なく見ていたら、なんとも渋い(ちょっとロックな)カントリーで、とくにバッグバンド、とくにギターの人(T.ボーン・バーネット)がかっくいいではないか(!)、ということになり、上のアルバム『Raising Sand』を買うことに。
グラミー(最優秀レコード、最優秀アルバム賞など)取っただけあって(?)、良いアルバムっぽいです。昔に買ったロバート・プラントのソロアルバムも聴き返してみたい、と思ったり(確か兄さんと何かのCDと交換したような記憶が)。
グラミー、レディオヘッドのパフォーマンスも良かったです。ちょっと見直す(?)。ちなみに、マーチングバンドのアレンジはベックのお父様(そっくり!)だそうです。
以上。
あ、コーネリアスは受賞逃がす、だそう、残念。

冬なのにチューリップ(!)。しかも、この写真は汐留のとあるビル(ビルとビルの間)にある地下(通路)で撮ったのでした。
NHKの cool japan という番組がありまして、かっこいい日本を発掘するらしいんですが、それをこの間見ていましたら「地下 Underground」を特集していまして、日本の「地下」はクールだと。
確かにクール、驚異的。
そして、そういう観点でいうと、高速のサービスエリアもクールだよな、と思うわけです。
SFの国、日本。
週末は所用で名古屋。土曜は、所用後、NAUT が内装を手がけた、というので気になっていた中国茶のカフェ、ca-thé へ。素敵。気に入る(スピーカーが ProAc っていうのも渋い)。その後、みそかつ矢場とん。キャラクター展開に恐れ入る。
日曜、所用後、帰りに(東名に乗る前に前にも一度行ったことのある)、coffee Kajita へ。やはり素敵。落ち着く。放心、放電。
今週は忙し(耳がまた調子悪くなってきているのが心配)。

最近(昨年末〜先月末)買ったLPやCDのメモ。ちゃんと書いておかないと、何を買ったか忘れちゃうからね(去年の反省からの行動)。
どれも良いのだけれど、WELCOME WAGON『Welcome to the Welcome Wagon』(リンク先はCD)がいちばん気に入っているかも。牧師夫妻による、カントリー、フォーク、ゴスペル、そして、ポップスな感じ(?)。スフィアン・スティーブンスのレーベルからスフィアンのプロデュースでのリリースだから、かなりスフィアンっぽいので(笑)、彼のファンだったら間違いなくお気に入りになるでしょう。ジャケットもやり過ぎ感満載で秀逸(内袋も素敵)。
ソニック・ユースの“シングルB面曲を中心にレコード・オンリーで収録された曲や未発表曲など、現在では入手困難な楽曲を一気に収録した”らしい『The Destroyed Room』(リンク先はCD/でもLPの方が収録曲が多い模様)も、期待通りのゆるくてノイジー、そして不協和、素敵。
アイデアの別冊付録、raster-noton "aiff―tiff"(本+CD)は予想通りというか、予想ママ(笑)。ヴィジュアルから音楽(逆だったっけ?)というのは興味深いけれど。
あとは、フェネスの新譜とガスター・デル・ソルのファースト。なぜかLP多し。

床暖、良いです。引っ越していちばん良かったことのひとつかもしれない。静かだし、部屋の空気も汚れないし、暑すぎず寒すぎずだし、場所も取らないし、猫も幸せそうだし。
全豪オープン(テニスの話です)が終わる。表彰式、準優勝のロジャー(フェデラー)の涙が、涙が。
それにしても、準決勝のナダル対ベルダスコ戦、5時間14分の死闘がとんでもなくとんでもない(!)試合だった。ラファ(ナダル)のあきらめない姿勢、というか、全くぶれない姿勢に、感動というか、参りました。
テニスからも色んなことが学べる。

室内音場調整パネル、LV600(サーロジック社製)が届く。さっそく設置、試聴。狙い通り、幸せ(笑)。
もっと大きいパネルの方が効果的なことは分かっているけれど、視覚的(そして金額的)に厳しいものがあって、このサイズに賭けて(?)みたのでした。
引っ越しから続いたオーディオチューニングは、ひとまず終了。音楽を楽しむ日々開始(しばらくの間は・笑)。
そうだ、部屋に馴染むように Studio K's みたいに白く塗らなきゃ。
ということを、プラシーボ効果(や二重盲検法)的なことを考えていたときに、思い出す。ちょっと前のカーサに載っていた黒田泰蔵さんの言葉。機能美に対する彼のアンサー(?)。
「精神的な機能というものがあり得るのかどうか」は、「ある」に決まっているけれど、疑似科学が流布している現在では、かなり軽視されている(と感じるときが多い)。
そんなこんなで(?)、意識についてもう少し見識を広めようと、ジュリアン・ジェインズ,著『神々の沈黙ー意識の誕生と文明の興亡』を読み始める。
この本が、トンデモ(疑似科学)本だって噂もあるけれど(笑)。

色々と停滞中。変化の前段階だと思って、思うしかない。
チンポム問題。“幼稚”というの一言で片づけられそうな気がしないでもないが、“表現する”ということについて少し考えてみる。“情報操作”、“受け手”。
来週の爆笑問題のニッポンの教養、ゲストは西沢立衛さんか。へえー。
追記:
そうだ、カエターノの新作でも買いに行こう(!)、と思っていたら、な、なんと生産中止!(発売中止)。延期じゃなくて中止(?)。ど、どうなっているんだ(???)
今日は、近所のヤマダ電機へ。帰り際、突然(!)チクテカフェのマフィンが食べたくなり、下北沢へ。やはりうまい。久しぶりに行ったからか、BGMに何か違和感があるなーと思っていたら、普段愛聴しているリサンドロ・アリスティムーニョに変わり、ご機嫌に(笑)。
その後、同下北沢のディスクユニオンに行き、見つけたら買おうと思っていた BATTLES『B EP』のLPを買う。
帰宅。地デジはやっぱりきれいだなー。音も良いし。
あ、やっぱり卓球の“愛ちゃん報道”は(分かっていながらも)ちょっとおかしいと思う。優勝したのは、平野選手でしょ。
懸案のオーディオ。今年に入ってからも、スピーカーの足まわりを中心にいじる。が、結局、元に戻す(笑)。「あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず」状態なので、じっくり音(音楽)を聴きながら、自分のなかのプライオリティを探る日々。
前に書いた“甲野善紀さんがさかんに仰っている言説”ですが、『近藤等則×甲野善紀 トークセッション 身体からみる、これでいいのか日本』にて読めます、よ。
ニャンちゅう。

ナーナ、ナーナー。先々日、とあるデザイン事務所の引っ越しのお手伝いをしたのだけれど、写真は、そのときの戦利品の一部。
タイムレコーダー、タイムボーイ7 GR なんて明らかにいらないけれど(笑)、そのいらない感じに(?)惹かれてしまうのだなー。
うん。
帰省の高速バスのなかで、森博嗣の「四季シリーズ」を読んだのだけれど、最後の『四季 冬』のなかで真賀田四季博士が言っていたことが、ずっと気になっている。
要約すると(おそらく)ネオテニーに関することだと思っていて、例えば、「メモリィが大きい、処理能力が高い、つまり賢いものほど、長い期間、子供である必要があるのです」とか、「頭脳が明晰であることは、大人の証だという錯覚があったためです。しかし、それはまったく正反対でした」とか、「子供には、遊びも仕事も区別がありません」とか、「子供の方がずっと難しい。大人ほど単純です」とか。
まず、何を思ったのかというと、「そうか、僕はまだ子供だったのか!」ということ(笑)。次に、否定。なぜなら僕は「メモリィか小さい、処理能力は低い」から。
う〜ん。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
今日は仕事始め。そして、ブログ初め。といっても、書きたいことは相変わらず曖昧模糊としてしまっているので、得意(?)の抜粋にて失礼します(笑)。
(前略)「要するに、すべての情報は、その発信母体の呪縛から逃れられない。必ず信号を発する頭脳の思考プロセスによって制限されている。それは簡単に表現すれば、言葉を話すのに時間がかかり、それを認識するのにも時間がかかるからだ、といっても良い。たとえば、現象は並列でも、言葉は直列に並ぶ。その並び替えのプロセスに、発信母体の意図が介在するだろう。そこに制限された境界条件が必ず入り込む。もちろん、言葉と現象の多元対応が、曖昧さを作り、シンボルの選択には、受信側の意思を侵入することになるけれど、これが、発信側の張った網を超越することは稀だ。つまり、この特性を利用することによって、継承による推論が生まれたともいえる」(後略)
森博嗣,著『今はもうない』より、犀川先生による“継承による推論”という思考パターンの解説なのだけれど、僕は太字になっているところに反応しただけで(笑)、これは、甲野善紀さんがさかんに仰っている言説と同じだなーと。
それだけ。
聴き納め。2008年最後は、アドリアーナ・パルチンピン『O SHOW』。先日の mamoru さんの、身近なもので奏でる繋がり(日用品とかおもちゃとか水とか色々なもので音を出したりしているのです)。あ、コーヒーも飲み納め(笑)。
おっと帰省しなきゃ。
それでは、皆さん、よいお年を。

奈良へ行ったのは、sonihouse での「家宴(「音」と「食」の高度な家庭的おもてなしを目指すイベント)」に参加するため。相変わらずの「刺激」と「和み」のなんともいえない素敵な塩梅的融合空間。
サウンドアーティスト・mamoru さんのワークショップ+ライブ、面白かったなー。身近な(安価な)ものが奏でる微かな音響。特に、etude no.12 が私的に白眉。クセナキスの「コンクレートPH」のような音響というか。
うん。
メッセージを掲げるのではなく、自然に出てしまう何か=それがメッセージである、か。やってみて(作り終えて)から、ああ俺はこんなことがやりたかった(作りたかった)のか、というやつ。
『黒澤監督 世界の若者と語る』、最後の30分しか見られなかったけれど、とても興味深い、ぞ。

シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ(・オブ・ベネズエラ)のアンコール時のはっちゃけぶり(楽器を回したり/椅子の上に立って演奏したり)を見て・聴いたことをきっかけに、クラシックの(決定論的?)“不自由さ”と、それに伴う“自由さ”について考える。
というのも、アンコールのはっちゃけ演奏は(僕的には)ちょっといただけないなー、と思ったからで、オーケストラの(僕が求める)美しさや力強さは、軍隊のように統率された“組織”、そして“抑制”という、ある種の“不自由さ”に起因しているのかもしれない、と思ったから。
そして、それが甲野善紀さんの「運命は決まっていると同時に自由である」という言葉にやんわりと繋がり、その言葉を変化(誤読)させ、「決まっているから、自由である」としてみる。この場合、「自由であるから、決まっている」ということにはならない、つまり、不可逆であると考える。
相変わらず暴走してるなー(笑)。
で、そんなことを考えながら、昨夜、Sachiko M × Jim O'Rourke のフリー・インプロヴィゼーションなライブを聴いていたのでした。
“自由”であることのなんと厳しいことか(!)。
グスターボ・ドゥダメル指揮、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ、観てきました。東京芸術劇場。池袋。
いやー、楽しかった。エキサイティング、ファンタスティック(!)。ここ一番(トゥッティ)でのパワー、ドライブ感はもう圧倒的(!)。
これに、彼らが年を重ね、“深み”(とかテンションを保ちつつのある種の“丁寧”さ)が出て来たら最高だろうなー、とか思うけれど、そのときにはこの圧倒的な“パワー”が減衰しているのだろうなー(笑)。
それはそうとして、「クラシック音楽を演奏させることによって、貧しい子供たちを善良な市民に育成し、麻薬や犯罪から守り、社会の発展に寄与させることができるという(国家的)プロジェクト」、素晴らしいと思います。
「音楽は社会を変える力となる」、うん。
今日は、フリー・インプロヴィゼーション。

AB誌のマルチフォーカスを読み、そういえばこの部屋にも“妙な響き”があるんだった(とようやく)思い出し、色々試してみたところ、スピーカー間の真ん中、試聴位置の真っ正面にキューオンくんを貼ることによって、
“妙な響き”は治まった。
これはこれで、現代美術みたいでいいのかもしれないけれど(笑)、できれば、素敵にアンティークな(デコラな)額を飾りたいと思うのでした。
オーディオが迷走していると、もうひとつ調子がでない、気がする。
あ、水曜に急遽、久しぶりにオーケストラを聴きに行くことに。仕事中に愛聴している OTTAVA amoroso の林田さんが押している、グスターボ・ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネスエラ(長い!)、なんだけど、
ベネズエラの若者たちで構成されたこのオーケストラのもたらす衝撃は、あの「のだめカンタービレ」のR☆Sオーケストラに匹敵するものがあるはずです。
だそうです。本当は、アルゲリッチも出る木曜の公演の方に行きたかったけれど、木曜はジム・オルークなんだなー。
なー。

デジタルスケール(クッキングスケール)を買う。グルビの伊藤さんの真似をして(笑)、DRETEC|クリスタルスケール。
ダイエット中の猫のごはんをちゃんと量りたかったので、買ったのだけれど、これがあれば郵便物の重さだってちゃんと量れるし、これからのお菓子作りにも繋がる。
うん。
関係ないけれど、commmonsmart の「教授(坂本龍一さんね)への質問状」を読み、大いに笑う。アホアホマン懐かし。
そういえば、ラスターノトン(カールステン・ニコライなど)が青山ブックセンターでライブする、というのに驚く。
ちなみに、僕は来週、Sachiko M × Jim O'Rourke のライブに行くのでした(dzumi に行くのも久しぶり)。
うん。

昨日は、「ネオ・トロピカア|ブラジルの創造力」展へ。東京都現代美術館。ネオ(ネオ?)・トロピカリアな音楽(の一部)を愛聴している僕としては、見ておいても損はないかと。
で、想像していたよりは楽しめたけれど、なんというかブラジルの現代アートって、僕のアートの定義(というより好み)より、幾分“軽め”であって、夏に豊田市美術館で見たブラジル展もそうだったけれど、“魂的感動”は得られないのだなー。
ゴーンとかドーンとかいう感動が(笑)。
それでも、写真のように「ネオ・トロピカリア|ブラジルの創造力」を買ってきたのは、展覧会が良かったからというより、この本が良かったからということで、テキストがおもしろそうだったし、デザインだって良い(と思っていたら、ADが近藤一弥さんでした)。
というわけで、今から読む。
うまく眠れなくて、朝早くに起きてしまう。何はともあれ、まず音楽。今日聴こうと思って出しておいた、シューベルトの『冬の旅』を聴く。早朝に聴くような音楽ではないような気がしないでもないが(笑)、一日の最初にLPを聴く、という行為はなんだかすごい贅沢に思える。
昨夜の残りのきのこ汁を食べる。染み渡る。
そして音楽。やはり聴こうと思って出しておいた、池田亮司『op.』を聴く。こちらも朝に聴くような音楽ではないと思うけれど(笑)、聴いていて、これもいわゆるポスト・クラシカルという範疇に入るのではないか、と思ってみるが、このアルバムのリリース当時にそんな言葉はあったのだろうか、もともと僕はポスト・クラシカルを毛嫌いするところがあった(ポスト・ロックを毛嫌いする往年のロックファンのように?)ので、ので(?)、よく分からない。
先月、MPさんにポスト・クラシカルものを聴かせてもらってからは、毛嫌いも緩和し、要するに、ジャンルの名前の印象だけで、“好き嫌い”を決めていた自分に気がついた、ということを書いておきたかったのです。
でも、ジャンルも大事。
今日は何をしよう。リスでも見に行くか。
まずは、お詫びと訂正。5つ下のエントリー「OTTAVA」にて、カウエルの曲を OTTAVA con brio で知ったと書いていましたが、正しくは OTTAVA amoroso の方でした(すいません)。
ちなみに、OTTAVA con brio は、クラシック番組にありがちな妙に上品な感じではなく、ポップスでも流しているような感じのDJで(?)、それに対して OTTAVA amoroso は、ロックでもかかっていそうな(?)熱気ある感じのDJ(ちなみに、両方とも男性DJの日の方が好み)。
あくまでも僕の感想ですが。
あ、下のエントリー、スピーカーケーブル「2本を1本に」ですが、本日、「1本を2本に」、つまり元に戻しました(笑)。やっぱり出して締める方向で行きましょう、ということです(?)。

スピーカーケーブル、スピーカー1つに対して2本使っていたケーブルを、1本にしてみる(アンプA+B出力→Aのみ使用)。
というのも、「スピーカーの高さ」で重低音崩壊問題はクリアーされたものの、低音の“濁り”はずっと残っていて、それを解決したかったのだ。
結果、予想通りの方向へ。“濁り”感は払拭されたかも(ただ“すっきり”し過ぎかも)。深みがなくなったというか。でも、他でなんとかなるレベルかも。
うーん。
関係ないけれど、密買東京、おもしろい。卓球ヌンチャク的というか(笑)。

昨日は、Sea Change Tour 2008 ということで、今年は、鎌倉の由比ヶ浜へ。コーヒーを飲みながら、Sea Change を聴く。
人がたくさんいたからか、なんだか落ち着かない。閑散というか、寂寥というか、そういう“場”の方が Sea Change にフィットすると思う。そういう意味では、由比ヶ浜はちょっと失敗だったかも。
それとは別に、引っ越して鎌倉がずいぶん近くなったので、またちょくちょくと行きたい。なんというか、良い意味で“コンパクト”なところ。
それとは別に、コーヒーの趣向がちょっと変わりつつある。以前は“熱い”コーヒーが好き、ぬるいのは問題外だったけれど、コーノ式に慣れてうまくいれられるようになったからか、もしくは西之園さんからの影響か(笑)、そんなに“熱く”なくても、おいしく飲めるようになった。
ただただ熱くて濃い液体を喉に流し込む、というのから、より“味”を楽しむようになった、というべきか。
うん。

進メトリー(笑)。
最近の仕事のBGMは、「ロックもジャズもR&Bもヒップホップも、聴いてきた。だけど…このラジオステーションから流れるクラシックは、いままで聴いたどの音楽よりも、長く付き合えそうな気がする」らしい(笑)、
OTTAVA。
下に書いたカウエルの曲は、OTTAVA con brio(amoroso でした!) で知ったのでした。ラヴェルの弦楽四重奏曲(第4楽章)もかっこよかったなー。僕の持っているラサール・カルテットの演奏よりもテンポが速く、エモーショナルな感じが。
そんなわけで、クラシック熱も上昇中。
ここで知った、浜田武士さんの作品(仕事)いいなー。デザインとアート。この路線。
仕事部屋に掲げていた「働かざるもの食うべからず」(笑)を、「一日作(いちじつな)さざれば、一日食(くら)わず」に変更せねば。これは、今ハマっている森博嗣から。

時計回りで、『カウエル:カルテット、ヴァイオリン組曲、他』、Nico Muhly『Mothertongue』、Fennesz, Dafeldecker & Brandlmayr『till the old world's blown up and a new one is created』、そしてLPが、ガスター・デル・ソル『カモフルーア』。
一昨日+昨日と買ってきて、今日聴いていたもの。どれもこれも素晴らしく、うれしくなって(?)、ついもう1枚ネットで買ってしまう(笑)。
ヘンリー・カウエルは、ラジオで聴いて気になった「フルート、オーボエ、チェロとチェンバロのための四重奏曲」という変則的なカルテット目当てだったのだけれど、今は「ピアノと小管弦楽のためのアイルランド組曲」がお気に入り。ピアノの内部奏法の音色が、フェネスたちのアルバムに繋がる、というのがあるからかもしれない。
Nico Muhly は、MPさん経由。タワレコで何度か試聴しつつも、ジャケット的にうけつけない(なにかひっかかる)ものがあって(笑)、今まで買わなかったのだけれど、ウチで聴かせてもらい「これは興味深い」と思い、今日聴いて「うーん天才かも」と思うに至る。
フェネス、ダフェルデッカーとブランドルマイヤーは、久しぶりの“試聴”買い。他に安心して買えるアルバムがあったこと、そして、ジャケットが良かった(非常に凝っている)ことが要因。即興をリコンポーズするという手法で作られたそうで、うーん音響的。無音(正確にいうと無音ではない)の使い方が(ジョン・ケージの「4分33秒」的に?)妙。
ガスター・デル・ソルは、見つけたら買おうと思っていたラストアルバム。こういう感じだったのね。
そうそう、吸音材。天井に付けてみたポリエチレン製のホワイト・キューオン(笑)よりも、スピーカーの下に置いたフェルト(3mm厚)の方が効果大な感じ。スピーカーと床の間が低音の鍵らしい。
うん。
昨日、今日と買い物。吸音材系と、CD、LP、そして、本。明日は、吸音材を天井に貼ってみたりしながら、買ったCDやLPを聴き、本を読む予定。幸せすぎる予定(笑)。
食材も余るほどあるし、コーヒー、スイーツだってある。
というわけで、明日に続く。

答えは、「スピーカーの高さ(床からの距離)」でした。重低音崩壊問題(笑)は、これでクリアー。写真は、スピーカー足下、スパイク+スパイクカバー(?)+黒檀ブロック。
オーディオ的肉体労働のヘルプをしていたとき、ちょっと時間が空いたので、オーディオ評論家先生に悩みを打ち明けたところ、「壁から充分な距離を取る、(ボードなどを置いて)床の強度を上げる、それでもだめなら、(大きめのウッドブロックなどを使って)スピーカーの高さを上げること」とご教授いただき、翌日、遊びに来てくださったMPさんに手伝ってもらいながら、さっそく試してみたのでした。
さらに、MPさんにもたくさんのご意見・ご提案をいただき、色々(アンプの置き方、電源の取り方など)実験し、その後もひとりで試行錯誤した結果が、今(写真ね)の状態。ひとりでもんもんとやっているより、信頼できる客観的な意見をもらった方がやっぱり進展が早い(!)。オーディオベーシック誌でのマルチフォーカスチューニングの連載を思い出したり。
実際、MPさんがいなかったら、スピーカーの下に置いていたボードを取ることは永遠になかったかも。一度すごく効いたものはなかなか外せないもんだもん。
それにしても、床から3cmくらい高くなっただけで、これだけ低音の出方が違うとは。新しい部屋は、前の部屋の何倍もシビアに反応するらしい。
おっと、仕事しなきゃ(笑)。

そうそう、日曜に『巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡』を見るため、国立新術館へ。この美術館、(風評を総合して)考えていたより悪くないところだったけれど、やっぱりあのぐにょぐにょは「とってつけた」感ありありだし、「建築とロゴが全然あってないよなー」という声が聞こえたくらい(そして、「あんなすぐに古くなるようなロゴでいいわけ」という声も聞こえたくらい・笑)、つまり、そんな感じ。
でも、だがしかし、ピカソはやはり天才だった。意識的にか無意識的にか分からないけれど、完璧にコントロールされている線、形、構図、色彩、、、、つまり、全てにおいてパーフェクト。簡単に書いてあるように見えるものですら、その線の必然性を説明できてしまうかのような、そんな天才性。
《ドラ・マールの肖像》の(右手の)美しさよ!
参りました。
ここ2週間(といっても実質6日)ほど、ヘルプでオーディオ的肉体労働をしていて、その疲れが今日、ピークを迎える。というわけで、読書、音楽、出前な日。
読書。最近は、同居人+弟から長年勧められてきた、森博嗣を読んでいて、『すべてがFになる』、『冷たい密室と博士たち』を読み、今は(ちょっと飛ばして)『封印再度』。
こうやって読み続けてしまっているのだから、面白いのだろう。悔しいけれど(?/笑)。
音楽、そしてオーディオについては、また今度。進展がありつつも、迷走中。
もともと自覚はしていたけれど、『響きあう脳と身体』を読んでからは、やはり僕には(脳も含めた身体の)“体力”がない、という思いがより強くなる。
ああ、薩摩兵のような強靱な“体力”が欲しい(笑)。もしくは、“火事場”系の力の出し方を研究しなければ。
よいニュースにふわり、と身体が軽くなる。
レコードをあさりたかった。
そして新しい音楽を手に入れたかった。
そんな漠然とした欲求でも新宿に行けば簡単に叶うと思った。
新しい"かもしれない"音楽はあった。
正しく言うと"あるといえばあった"。
so, そこには"迷い"もあったのだ。
この場合、"迷い"は致命的である。
そう、僕は"迷ったらやめる"という持病を持っているのであるからして。
イカリング揚げとビールを買って帰った。
シュークリームも買えばよかったと後悔している。
代筆:同居人

Design is relationships. Design is a relationship between from and content.
デザインとは関係である。形と中身の関係だ。
『ポール・ランド、デザインの授業』より。
Design is also a system of proportions, which means the relationship of sizes.
デザインとはプロポーションのしくみでもある。つまり、サイズ同士の関係性を意味する。
同上。そして、色も。
先月読んで、久しぶりにポール・ランドの真摯な熱に触れ、古いアイデア(no.256 / 261)での対談や記事を読み返すことになったり。
秘蔵のポール・ランドの講演ビデオも持っていたのだけれど、あれ、どこに行っちゃったのだろう。


そして、SIDE 2。Jim O'Rourke『Halfway to a Threeway』より。
かわいい。わかりやすい。

ターンテーブル用に手元灯をずうーっと欲しいなと思っていたのだけれど、この間、IKEAに行ったときに写真の MIL を見つけて、2,000円なら買ってみるか(失敗してもそんなに痛くない)と思い、使ってみているのだけれど、うん、悪くない。見た感じも、悪くない。
ただ、足下にガタがあったので、同IKEAで買ったシール付きのフェルト(?)を貼ったけれど。
今日は、都心にて買い物三昧。
アメリカ国内では既成の価値観を壊すものと目されていたロックだが、海外ではアメリカの文化帝国主義だと受け止める人たちもいた。それは、現在のグローバリズムを考えるうえでも見逃せない事実だ。
『事典 世界音楽の本』、「4.3.3 都市中産階級の音楽」より抜粋。なるほど(ブラジルなんかまさにそう)。コーラとかジーンズはどうだったんだろう、とか、興味深い。


部屋に対するスピーカーの位置、上が引っ越し前、下が引っ越し後、つまり現在。オーディオ編成的には(ほぼ)変化なしだけれど、まさに“違うスピーカーが鳴っている”ような、やっぱり部屋の影響って大きい。
床や壁の強度が大幅にアップしているからだろうか「重低音」、スピーカーの背面、左右が(ほぼ)同条件になったからだろうか「高解像度」、そして、スピーカーの間隔が広くなったからだろうか「ステレオフォニック」(!)。眼前に広がる音響(!)。笑。
欲を言えば、スピーカーから3m以上離れたい、が、仕方ない(縦長配置なら可能だけれど)。でも、スピーカーに近くなったからだろうか「小音量でのリッチ再生」、はすごくうれしい。
というわけで、音楽だけを聴いて過ごす時間が明らかに増えている。