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カラマーゾフの子どもたち

午後より復調。仕事をバリバリ、音楽は大音量、コーヒーもうまい(今日から Afterhours 謹製)。

読書メモ。

売れている亀山郁夫さん訳の『カラマーゾフの兄弟』を読みたいなーと思いつつ、(それを読むのを前に)上の亀山郁夫,著『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』を見つけてしまい、「コーリャはどうなるんだ?!」という長年の疑問(心配事)を少しでも晴らすべく購入したのは、先週のこと。内容はネタバレになるので書きませんが(笑)、

「この思想の主」、すなわちニコライ・フョードロフは、死を人間の根元的な悪とみなし、その克服にキリスト教の奥義はあると考えた。しかし、同時に、死を避けがたい宿命とみることなく、ほかの哲学者とは異なるユニークなアプローチを示してみせた。「死とは、…それなしでは人間が人間でなくなるような、つまり人間が本来あるべき姿でなくなるような特質ではない」とし、死を徹底的な研究の対象とすべきものとしたばかりでなく、自然界の諸力をコントロールすることで死を克服し、ついには「死んだ祖父たちを甦らせる」ことこそ、キリスト教の復活の意味であり、その延長線上に、ゴルゴダで十字架に架けられたキリストの、真の肉体的復活は可能になると考えたのである。

という思想があったということに、ちびった。フョードロフさんは、「現代にいうクローンの創造」を考えていたそうだ。桑原。。

次に、砂川しげひさ,著『クラシックだドン!』を読み、大笑いし、今は、中村昇,著『ホワイトヘッドの哲学』。

以上。