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社会

誰も知らない 世界と日本のまちがい』を読みつつ、『事典 世界音楽の本』の第3章「制度」を読み始めると、以前読んだ、アドリアン・フォーティ,著『欲望のオブジェ』を思い出さずにはいられない。

というのは、よくメインで語られるもの(人や出来事)の裏側で何が起きていたか、それを俯瞰して見たときに社会や経済がどのように関係していたのか、という点で類似しているからで、『欲望のオブジェ』を読んだ時点では、今までの視点(偉人を中心とした見方)との相違からか(頭では分かるけれど)何か馴染めない感じが残ったのだけれど、今、包括的な視点での本に触れまくっていると(笑)、グラッと理解できつつある。

例えば、

18世紀後半から19世紀にかけての、一般に「近代」と呼ばれる時代は、音楽をはじめとする「芸術」が教会での典礼や宮廷での社交といった、宗教的・政治的なくびきから解き放たれ、それ自体としての価値を認められる自律的存在になった時代としてイメージされてきた。だが、それはこの時代の一面にすぎない。というより、「芸術」の存在を保証するような施設や身分そのものが、この時代に作られた政治的・経済的システムの一端をなす社会的な「制度」であるとみるべきなのであり、近代的な芸術の自律性という考え方が確立するのが近代的な国民国家や資本主義のシステムが確率してくるのとほぼ同時期であるのは決して偶然ではない。

と『事典 世界音楽の本』にあり、うーん、なるほどなーと思っていると、『誰も知らない 世界と日本のまちがい』に、その背景である「国民国家や資本主義のシステム」について語られていたりして、相乗的理解を得られるわけです。

ということを、全仏オープンを見ながら書く。ヤンコビッチ対イワノビッチ、いったいどうなるんだろう(!)。