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ウィトゲンシュタインの音楽

wittgenstein
池田亮司のコンサートについての感想が下のようになったのには、ちょうどその日に読み終えた本、『ウィトゲンシュタインの建築』からの影響があるのかもしれない。というのも、その論理哲学的に創られた建築に思いを馳せていると、池田亮司の音楽こそ、それの音楽版なのかもしれないという妄想に取り憑かれたから。

「ウィトゲンシュタインの建築」的なグラフィック・デザインを目指していた時期が僕にはあって、もちろん挫折したわけだけれども(笑)、ウィトゲンシュタインがミリ単位にこだわったことにはとっても同感。ある種の数学的論理性というやつは、徹底的に細部まで管理し、びしっと揃わせることができると、圧倒的な美の世界が現れるのだけれども、ほんの些細なところでずれたり、間違ったりしているだけで、一気に陳腐なものへと変貌してしまうのだ。つまり、あらがすごく目立つのだな。

池田さんがこういうスタンスで音楽を作っているかは知らないけど、彼の音楽にとって細部は非常に重要だと僕は考えるわけで、だから、音質とか画質の細部についてああだこうだと言っているわけです。とくにあのスクリーンは遺憾。

誰かが「彼(池田亮司)のことをロマンチックだと感じた」と書いていたけれど、僕も同意します。

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