欲望のオブジェ
アリメさんにお借りしていた、アドリアン・フォーティ,著『欲望のオブジェ デザインと社会 1750-1980』を読み終えた。
もの、いいかえれば製造品のデザインは、ほんらい、社会的・経済的なさまざまな要因のからみあいのなかから生まれてくるものだ。にもかかわらず、ペヴスナーをはじめとする従来のこの分野の歴史書は、あたかもそれがアートと同じような純粋な創造的営為であるかのように扱い、したがってデザイナー個人に過大なスポットをあててきた、と著者、アドリアン・フォーティはいうのである。
とすれば、新たに書かれるべきデザイン史は、いきおい社会史の相貌をおびざるをえない。(後略)
上は、「訳者あとがき」からの抜粋で、簡単にいうとこんな内容の本。(アートが純粋な創造的営為であるかは疑問に思うけれど)
たんたんと経済・社会史的に、プロダクトデザインの変遷を追っていくのだけれど、これはこれで、こんなに理路整然と説明できることなのだろうかと、僕なんかは思ってしまう。確かに、デザイナーにスポットをあてすぎるのは、問題だけれど。
と懐疑的になってしまっているのは、お隣の本、尹雄大(ユン・ウンデ),著『FLOW─韓氏意拳の哲学』を読んでしまったからで、続く。