理想→形態→
初めてこのスピーカーを雑誌で見たときは、まだオーディオマニアでもなんでもなくて、直感的に恣意性を感じ、「わざわざこんな形にする必要性がどこにあるんだ!」と思ったことを覚えている。
ところが、その数年後、このスピーカー、B&W社の Nautilus は、「理想の音を追求した結果」の「形」であることを知る。「形態」が「機能」に従ったのだ。(詳しいことは書きませんが、このスピーカーは車で言うとF1みたいなもんです。)
この事実を知った後に、僕の態度はコロっと転がり(笑)、ノーチラスは憧れのスピーカー、一度は聴いてみたいスピーカーになったのでした。
そして月曜に、念願かなってこのスピーカーの音を聴くことに。まさにノーチラス(オウム貝)のような異様な形、その無視することのできない圧倒的な存在感と対峙する。ところが、音が出た瞬間、音楽が始まった瞬間、ノーチラスはその存在を消し、そこには音楽があった。
あまりにも自然な音の出方(まさにストレスフリー)、スピーカーが消えるというのはこういうことか!
「理想の音」を出すために作り出された「形」が、生物っぽい姿になったことにも興味をそそられるし、なによりもその「結果」が見事なまでに音に昇華されていることに驚いたわけです。(もちろん使いこなすユーザーの力量にもよりますよ。)
さて、それでノーチラスは完璧なスピーカーかというと、ある意味完璧なスピーカーではあるけれど、これがとても「扱いづらい」、つまり「使いにくい」のだ。ものすごくデリケートにできているし、スピーカー1本につきパワーアンプだって4台もいるし。
それが思想的にであれ、機能的にであれ「理想」を「形」にすると、それらは総じて「使いにくい」ものになってしまうのだろうか。すぐにでも反論できそうな問いだけれど、今のところの僕には思いつかないのだなー。