幽玄的ファントム定位
某掲示板に「あらためてサラウンドを考える」というスレッドがあって、これを読みながら「んーむ」と考える。僕も、経験上、音楽再生の上では、5.1chのセンタースピーカーとサブウーファーはいらなくて、4chで充分(というより4chの方が)豊かな再生ができると確信している。
先の渋谷慶一郎さんのライブの前(月曜の講義のとき)に、「なぜ8chなのか、民生用の5.1ch、または4chでは表現できないのか」と質問したところ、まず、「5.1chっていうのは、要するに4chに毛が生えた程度のものだから」と答えられ(おお、渋谷さんは分かってるなと僕は心の中で思う)、「4chと8chでは、例えば、全体的に音の輪が小さくなったり大きくなったりというのを再生すると、圧倒的に8chの方が実在感があるんだ」と仰っていたので、ちゃんと聴いて判断してるんだと、これなら期待できる! と思ったのであった。
が、実際聴いてみると(試聴位置に問題はあったが)、「スピーカーから音が鳴っている」と思ってしまったのだ。
それから数日間、うようよと考えていたところ、某掲示板の「幽玄的に出来るファントム定位」という言葉に出会い、ようやく僕の脳の関連シナプス群にラベルが貼れたのだ。
オーディオ・マニア(以下オーマニ)じゃない人には何のことか分からないかもしれないけど、オーマニの間では常識的な言葉の「音像の定位」というのがあって、それは例えば2chなら、左右のスピーカーの真ん中からあたかも音が聞こえるというもので、それがヴォーカルなら「ヴォーカルの口の動きが見えるようだ」ということ。これには、これでしか味わえない驚きと快感(クオリア)があると思う。
つまり、例えば8個スピーカーがあって、それらが別々の音源を発していて、音が回ったり転んだりするのも楽しいけど、それを4個のスピーカーで表現できれば、スピーカーのない空間から音が発せられれば、もっと楽しいし、家庭でもそれを楽しめることになるのではないか。岡倉天心のいう「想像力の喚起」こそが芸術の楽しみなら、尚のことね。
セッティングを詰めれば僕は可能だと思っている。使うなら無指向性のスピーカー4本。うーん、やってみたい。
関係ない(こともない)けど、佐々木敦さんの『(H)EAR』、内容も装丁も好みだし、買おうかな。