ここ1ヶ月くらい集中と拡散が続いていて、ちゃんと本を読むことができないでいたので、昨日は久しぶりに時間を作って、じっくりと本を読んだ。秋田道夫さん推奨の『芸術としてのデザイン』ブルーノ・ムナーリ,著と、アリメさんにお借りしている『装飾と犯罪』アドルフ・ロース,著を読み終えたのだけれど、両方とも含蓄ある興味深い内容だった。
『芸術としてのデザイン』は、「それが“美しい”のは、まさにそれが正しいからである」という言葉だけでもお腹いっぱいな感じだけれども、僕としては、ビジュルアル・デザイン、そしてグラフィック・デザインの章が確認も含めてとても勉強になった。あと、「自然はその全部であって、その一瞬ではないのである」とか「わたしたちは必ず何かを“感じ”る。それがわたしたちの手を動かすのだ」かな。
『装飾と犯罪』は、僕も過分・無意味(意味の転換的)な装飾性(例えばコンクリート打放し風壁紙など)には怒りを通り越して諦めも通り越して笑うしかなかっただけに、ある意味「そうだ! そうだ!」という感じで(論理補強的に)読み進みつつ、だがしかし、ある種の啓蒙的な発言が多いロース氏の言動には、もっと客観性を持って接しなければ、昔の過ちをもう一度繰り返してしまいそうだと、ちょっとびびる。僕は影響を受け過ぎるきらいがあるのだ。
アドルフ・ロースさんについては、この本を読むまでは、「なんだかおいしそうな名前ですね」というくらい全然知らなかったわけだけれども(笑)、僕好みの「才能とストイックさ」持った御仁であるようだ。(こういう人は、カーサとかには出てこないわな。)
久しぶりにニューデザインパラダイスを見ていたら、松本弦人さんがでていて、そうか弦人さんも卓球台を机として(机としても?)使っているのか。と思ったのであった。他のデザイナーやクリエーターの方々が使ってらっしゃるのもちらほらと見るので、全国的、世界的にもきっとたくさんの卓球台が机として使われているのじゃないのだろうか。
というのも、僕も卓球台にあこがれる輩であり、将来的にはなんとか導入したいと思っているから。卓球台って、シンプルで美しいし、広いし、なんてったって卓球できるし!
でも、現行の色の青(確か浅葉克巳さんデザイン)だと作業や食事に影響が出そうなので、僕なんかはグレーとか白なんかが欲しいなと思っていたりして、そうなると線は何色にするんだということになるので、こうなったら、ON/OFFで線が点いたり消えたりっていうのはどうだろう、となると台の材質的影響で球のハネ具合が影響してくるぞ、、、なんて妄想してみたり。
卓球台といえば、この写真が好き。
TIBORの背表紙。丸太がネットの代わりっていうのが素敵。
約2週間お借りしているプリアンプ QUAD 34 なのだけれど、導入するか否かそろそろ決めなくてはと思っていたところ、同居人にちょっと相談してみると、「アキュフェーズは売ってはいけない」と言われ、計画が頓挫。要するに、アキュフェーズのプリメインアンプを売って、QUADを買う資金にしようと思っていたのだけれど、よくよく考えてみると、同居人の知人のお父様の遺品であるアキュフェーズは、どうやら僕だけの所有物ではなかったようだ。。
QUAD 34 のフロントパネル。QUADのロゴがこんなに見えにくい位置(写真のほぼセンター)にさりげなくあるなんて、デザイン優先ってことなのだろうか。それとも、この個性的なデザイン自体が「QUAD」であるということを語っているのだろうか。
それにしても芯のある、躍動感溢れる音だった。情報量ではなく、コントラストで音楽を聴かせるということなのか(?)。人間の快楽にとって必要な情報量とは? またセグロカモメのヒナについて考え始める。