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Archive: Diary

恵比寿

ebisu070303
昨日は、恵比寿。リムアートで、今日までやっている「TRUCKING TRUCK #1 with limArt,Tokyo」を見、タミゼを見、リムアート別館を見、KAPITAL を見、Maison Martin Margiela Tokyo を覗く。(最近、こんな日記ばかりですね)

TRUCK は、もの凄い混みよう。もっとゆっくり座ったり小突いたりしたかったけど、そんな雰囲気ではなかった。けれど、相変わらず TRUCK の家具は良い。木が良い。そのままオーディオ・ラックになりそうなくらいの頑丈な作りが良い。(でも、値段もオーディオ・ラックぐらい高い・笑)

後は、既視感たっぷり無感動。。

filmachine phonics

filmachine
ATAK010、『filmachine phonics』は、賛否両論だろうけど、僕は「賛」の方。ヘッドフォンでサラウンドっていうのには懐疑的だったけれど、これは面白い。(だがしかし、リアル・サラウンド志向な僕は、4chバージョンも求めてしまう。)

あと、このCDには、CD(44.1kHz/16bit)より音の良い音源、AIFF(48kHz/24bit)ファイル(など)が入っているのだけれど、これは素晴らしい試み。It is good that a sound is good.

そして、ATAK | diary より。

思うに極限まで忙しいと迷うとか悩むというギアが完全に無くなるというか、直感的に正しいチョイスをするようになるものです。なので最近僕は恐ろしく悩まない。考えるけど悩んだり迷ったりしないという人間になっていて悩んだりしてる人を見るとヒマだなと思うようになっています。あと決断に時間がかかる人というのも同様です。決断が間違っていても直せばいいだけで、しないよりは決断して始めて違うと思ったら何回も直すほうがクオリティも上がるし意外な結果も現れる可能性がある。

ふむ。

ロングライフ

imperative
『D勉強会』に触発されて、“ロングライフデザイン”ということについて考え続けている。「自分の一番長く使っているモノは何か」、「世界で一番長く使われているモノは何か」というような基本的な問いから始まり、、、「長く使われ続けるシステム」について妄想する。

そんなことを考えていると、ヴィクター・パパネック,著『地球のためのデザイン』を思い出す。ここに書いてある「買う前の10の質問」を皆が実行すれば、必然的にモノとのロングライフな付き合い方になるのだろうけど、それは、今の経済のシステムが許してくれないだろうよ。

あ、写真左の『生きのびるためのデザイン』の方が、よく推薦図書として紹介されることが多いけど、僕はというか、断然『地球のためのデザイン』の方が良いです。『生きのびる…』+『人間のためのデザイン』+α=『地球のための…』であって、彼の集大成だから。

ロングライフ(不老不死)か、サイクル(輪廻)か、、、

妥協

昨日は、銀座のgggで『EXHIBITIONS : Graphic Messages from ggg & ddd 1986-2006』(最終日)を観賞後、御茶ノ水で打ち合わせ、渋谷のタワレコ(Wポイント最終日)で『ATAK010』を買い、奥沢で『D勉強会』。

gggは、以前に書いたエントリーのアンサーになるのではないかと期待していただけに、ガツカリというか無感動。アートとしての価値はあるだろうけど、デザインの参考には決してならない(と思う)。

それにしても、『D勉強会:秋田道夫さん(プロダクトデザイナー)×ナガオカケンメイ(D&DEPARTMENT PROJECT代表)』は面白かった。特に、制作上の妥協についての質問に対する秋田さんのアンサーが素晴らしくて、(ちょっと誤解を招きそうな)「妥協は完成の父である」という言葉により、僕はプチ・ブレークスルーすることに。

秋田さんの「妥協は完成の父である」という言葉には、甲野善紀さんの「私にスランプはない」という言葉が意味するところの深い部分で繋がりがあるように思える。自分の理想が最高だと思っているから“妥協”という言葉が出てくるのである。それは、独り善がり以外の何者でもなかったのだ。(あくまでも僕の場合の話です)

ということで、今日は、クールダウン。洗濯しよ。

飛躍

金曜は、渋谷のUPLINKにて『ATAK展』を観賞後、大井町のカンティネッタで、Webディレクターとおいしいワインに酔う。土曜は、久しぶりのオーディオOFF会。Dolonさんの音を初めて聴かせていただく。帰宅後、仕事。日曜は、仕事の修正指示を待ちつつ、WOWOWでやっていた『ロード・オブ・ザ・リング』を見倒す。

『ATAK展』は、僕が感心を持っているATAKのアートワークの、ラフやアイデアの状態から見られるものだったのだけれど、ボツになった案なんかが想像以上にイケテナイものが多くて(笑)、彼らも僕と同じ人間なんだとホッとする。以前、デザインの現場で見た、グルビの100%チョコレートのボツ案もそんな感じだったことを思い出す。

ただ、最終的にできるものは両者ともに素晴らしいものなので、ある段階に「飛躍(ブレークスルー)」が起きているわけで、そこらへんの詳しいところが知りたいのであります。

とりあえず作ってみるということの大切さなのか。もしくは、イチオシとのコントラスト比を上げるための駄作群なのか。