Journal

Archive: Music

Transculturation

22日の高橋悠治さんの講義を忘れないうちにまとめておこうなんて思うが、これがすごく難しい。まるで悠治さんの電子音楽を聴いているかのような、ある種のランダム性を含んだモジュールの集積的講話。話をまとめようとすればするほど本質から離れてしまう危険性を孕むあれです。

ので、断片、僕の記憶に残っている話の断片を書くことにする。まず、Transculturation 。文化がA→Bに伝わり、Bで独自の発展を遂げ、今度はB→Aへと伝わり、またA→Bとなったり、B→Cに行ったりという意味だと理解したのだけれど、ネットで調べてみた限り、なんか違うような。僕の勘違いなのか。響きというか意味するところが気に入ったので、Tシャツを作ろうなんて思っていたのだけれど。

あと、耳が高周波を発しているというお話しが興味深くて、「聴くことは発することと同じ」とか、音楽とは「いかに空間をつくるか」とか。これを受けて、前に書いた天球の音楽のことを考えたり。

一番印象に残っているのは、ペットボトルの蓋を片手で開けようとするがなかなか開けられないでいる悠治さんだったりで、案外こういうところに真意があったりなんて。

関係ないけど、「りんこ日記」の装丁、かなり好み。

Futurrismo

同居人のおつかいで、吉祥寺まで自転車で行く。同居人の欲しかったDVDは発売延期で買えなかったので、僕の欲しかったCD、KASSIN+2/FUTURISMO を買った。そういえば「プリンが食べたい!」と同居人が言っていたなと思い出し、ああ、アムプリンがあればなーと思うが、(北海道に行ってしまったので、)思っていても仕方がないので、東急の地下のC3でカラメッラを買う。

KASSIN+2、なかなかいい感じ(特に1曲目)だなと思いつつ、中原仁さんがライナーで書いていたように、この人は結局「ネアカ」な人なんだなと思う。アート・リンゼイの場合、これが「知性」となる。

相棒のミンコ(猫)の姿が見えないと思っていたら、雷に驚いてベッドの下に避難していた。僕は雷の音に負けじとエラ・フィッツジェラルドのモノラルLPを爆音でかけ、エラとフォーンセクションの高音が耳に刺さる快楽に溺れるのであった。