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大友克洋,著『AKIRA』を読んだ。ようやく読んだ。
連休中に、映画の方の『AKIRA』(DTS sound edition)を久しぶりに観て、「大佐は良いこと言うなー」とか「金田はかっこいいなー」とか言っていると、同居人がボソッとひとこと。
「ミヤコ様も本当はかっこいいんだよ。」
この一言で、原作の漫画の方を読んでみようと思ったのだ。僕の場合、『風の谷のナウシカ』だって、映画を先に観て、その何年も後に原作の漫画を読んでショックを受けた前例もあることだし。
と思いつつも、実は、何年か前に『AKIRA』を読もうとして途中で挫折したことがあって、最後まで興味を持って読めるかちょっと心配だったのだけれど、それは、杞憂に終わる。
凄いとしか言いようがないくらい、素晴らしい。
そして、6巻の最後の大友氏の謝辞(?)を読んで、手塚治虫は、巨大で強大な影響力を誇った、本当に偉大な人なんだなーと再確認。(最近、『地球へ…』も読み返したばかりだったので…)
たんなる五月病(笑)なのか、社会に出てから10年目にやってくるという病なのか分からないけど、“仕事”的な悩みに尽きないきょうび。
そこで、連休中に買ったのが、山田ズーニー,著『おとなの進路教室。』。(写真は僕の興味本位で左右反転しています)
めったに、というか、全くこの手の本は買わない僕だけれど、この本は、ほぼ日の『おとなの小論文教室。』の加筆修正版なわけで、おおよその内容は知っていて、つまり、“復習”及び“まとめ”的な意味合いで読んだのだった。
結果、あまりにも思い当たることが多くて(笑)、ここには書ききれないけれど、とにかく、最近の僕は「思考の粘り」というものを放棄していたのかもしれない。しっかり考えもせずに、短絡的に結果(?)のみをウジウジと思う思う。。
というわけで、どっしりとかまえて“アイデンティティ”を再構築することにしよう。(何年かかるか分からないけれど)
あ、デザイナーな人には「わかりやすくするということ」がおもしろいかも。
―(前略)あなたが初めて龍安寺の石庭を見たときの反応を思い出させますね。
「私はその庭を前にしたとき驚きました、そして岩はどんな位置にでも置かれえたはずだという印象を受けたのです。多くの美術評論家や哲学者は、岩はまさに然るべき場所に置かれている、と考えているようです。彼らはたくさんの計算をし、庭の図面を起こし、あげくのはてに砂地の上に置かれた15の石が作り出す均衡と調和は唯一の方法―ここで用いられた方法―によってしか表現されえなかった、と論証しています。」
― 帰納的(ア・ポステオリ)な証明にすぎないものが、ある法則の発見に考えられがちなわけですね…。
「ええ、自然と美の法則のね。」
建設的な批判(批評)について考え続ける。