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タレルの部屋


21世紀美術館で、いちばんいいなーと思ったのは、タレルの部屋。簡単に言ってしまうと、天井に四角い穴が空いていて、そこから空が見えるだけの作品(下の写真参照)。

同様の作品を、光の館(新潟)、地中美術館(香川)で見ているけれど、やっぱりいいなー。見放題な金沢市民がうらやましい。

今回は、今までと違い、青空でもなく、夕暮れでもなく、ただただグレースケールな何の変わり映えしない感じの空だったけれど、それはそれで、ただただ眺める。

音の響きが不思議な感じ、響きつつ空に抜ける感じ、というのが今回の発見。

“あの感じ”を思い出しながら書いていると、いつもより改行が多くなってしまう、そんなアート。

瑣末主義

美術館、それもきれいな建物に、このマットはないでしょう。と思うのは、僕のような瑣末主義者(笑)くらいなんだろうか。(写真:横須賀美術館のトイレ入口)

トイレ案内の張り紙(他の張り紙も含む)にしても、ちゃんとデザインされていない。もしかして、何かのっぴきならない理由があるのかもしれないし、偶然この日だけこういうことになっていたのかもしれないけれど、僕なんかは、単にコンセンサスがとれてないんだろうなーと思ってしまう。

そして、例えばこの場合、建物にお金をかけて立派なものを作っておきながら、こういう意識の低さを垣間見ると、「もったいない」というか、それを通り越して「怒り」に近い感情が芽生える。

僕がいいなーと思った美術館とか、それに類するような施設(直島とかYCAMとか)は、上のようなことはなかったように思う。少なくとも僕の目には入らなかった。そこには、コンセプトを共有し、共感しているスタッフがいた(ような気がする)。

これは、プロダクトやデザインにも言えることで、せっかく素敵なデザインなのに、ロゴマークがどーんと無遠慮にあったり(そもそもそのロゴ自体がひどかったり)、材質が安っぽかったり。なんというか「イケメンに鼻毛」的残念感なんだなー。

大事なのは、コンセプトの共有と共感。自戒を込めて。

あと、大局を見るというのは、おぼろげに全体を見通すことではなくて、全部に神経をとがらせて把握することなんじゃないか。もしくは、そういうシステムを構築することかもしれない。

というのが、昨日考えたこと。

横須賀美術館

横須賀美術館
横須賀美術館

土曜、先生が「遠くに行きたい」と仰るので、少しばかり気になっていた、横須賀美術館に行く。

美術館の建築的な印象は、「白い、柔らか、軽やか」で、特徴的なところがないことは全然ないのだけれど、何かが希薄(?)に感じる。サイン計画には、個性があり、これが美術館にちょっとした性格付けをしているかもと思う。(設計:山本理顕/サイン計画:廣村正彰)

以前、さる方に「形にしか興味がないんでしょ?」と言われ、「そうなんですよー」と答えたのだけれど、そのことについて少し考えてみる。

今までよかったなーと思った美術館(など)を思い浮かべてみたりして、自分の興味(感動)の本質はどこにあるのか探ってみる。

daibutsu_back

もう一週間経つのか。よかったなー、大仏。

僕のいとこに、禅宗のお寺の住職さんがいるのだけれど、祖父の葬式のときに、彼のお経を聴いて「なんて美しく力強いのだろう」と思った。感動的だった。内田樹さんがブログで「言葉」と「いいたいこと」の話、『先行するのは「言葉」であり、「いいたいこと」というのは「言葉」が発されたことの事後的効果として生じる幻想である』と書いておられたけれど、こういう一般的に言われているような方向とは逆、つまり、「何か魂に心地よいお経」、そして「美しく巨大な仏像」から、仏教のファンになってもいいのかもしれないと思った。「ありがたい教え」は後からついてくるでしょう。

内田さんの仰ることはまだうまく理解できないのだけれど、こういう考え方も知っておくと、脳がうりうりと動いていいかもしれない。

「~だから」→「嫌い」ではなくて、「嫌い」→「~だから」という方向性、後付する意味、そういうことを、そういえば柄谷行人さんが言っていたような。