Naoshima Cat
直島で出会った猫。雑誌『DESIGN QUARTERLY』に載っていたので、僕も載せてみた。この写真じゃ分からないだろうけど、首輪がおしゃれなんです。
ぷっくりとした柔らかいお腹を触ったら、「シャー!」と怒り&引っ掻かれて流血してしまったことが、良い思い出です。
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Archive: Art
直島で出会った猫。雑誌『DESIGN QUARTERLY』に載っていたので、僕も載せてみた。この写真じゃ分からないだろうけど、首輪がおしゃれなんです。
ぷっくりとした柔らかいお腹を触ったら、「シャー!」と怒り&引っ掻かれて流血してしまったことが、良い思い出です。
タレルに教えられるまでもなく、光は温かい。
昨日、ナム・ジュン・パイク追悼ライブ『farewell,njp』に行ってきたのだけれど、そもそもこの集いに参加した僕の不純な動機を見透かされたかのごとく、素晴らしく下らないものだった。僕の周りの人々もそう思っていたかのごとく、左隣は終始爆睡、右隣は半分うたた寝、後ろの男女は関係ない話で盛り上がるといった景観。
「反面教師としてオマージュ」、「結果から結果を追う誤り」、こんな風にまとめることができるのではなかろうか。坂本龍一さん、パイクの真似をしてヴァイオリンに紐をつけて引きずり歩くくらいなら(壊すとかマイクを付けるという微々たる行為を含め)、パワーブックを引きずるくらいやって欲しかったです。カールステンもラスター・ノトンの皆さんも然り。そして、ネクタイ・カットに悪寒が走る。結果としての行為ではなく、因を見据えるべきでは?
僕がパイクさんのことを知らないだけだろうけど、あんな感傷的なことをして喜ぶような人なのだろうか。
なんちゃって。
YCAMでの『渋谷慶一郎 LIVEコンサート/musimissile – ミュジミサイル -』については、そんなに期待していなかった僕だけれど、このライブは、とても美しく、刺激的な時間(空間)となった。
「ピアノ+コンピュータ(+映像による同時多層的空間アンサンブル)」という形態というと、坂本龍一+アルヴァ・ノト(カールステン・ニコライ)が有名だと思うのだけれど、何が違うかというと、まず、渋谷さんが弾くピアノが既存の曲を弾いているということ。しかも、サティとかケージとかブラームスとかバッハ、そして渋谷さん自信の曲。そして、コンピュータ群の音がサラウンドであること。
最初のサティでは、突然の暴力的な電子音に、さすがに違和感もあり、メチャグチャにしか思えなかったのだが、2曲目(2曲目もサティ)以降は、逆にその違和感が心地よくなる。会場全体に漂い、ときには襲いかかってくる電子音、その中に凛としてあるアコースティックなピアノ音。暴力的なノイズにかき消されようと、そこに存在する確固たる名曲よ。美しい。
鬱蒼と茂るジャングル(電子音)のなかで、獲物(ピアノ)を見つけ、ロックオンし続ける快楽に通じるのかもと思ったり。
それにしても、良いサラウンド空間だった。(特に、evalaさんのソロがよかった。)
では、続き。filmachine の感想。
円上に配置された8つのスピーカー、それが上中下と3段になっているから計24個となる。確かに、上から下に音が降りてくる感じや、音が自分の中を通っていく感じなど、僕にとって初めての体験だけれど、「こんな感じになるよなー」といったクールな思いだけだったのだ。酷く言えば、ハリウッドのアクション映画の絵なしっていう感。(LEDは眩し過ぎるし)
とてつもないスピードで、音が頭上でぐるぐる回っている。でも、この知覚に感応するクオリアが僕にはないだけなのだろうか。というよりも、現実での飛行機内の音、新幹線と新幹線がすれ違うときの音などの方が、はるかに感動的だと思ってしまう。(感動的?)
それで、僕の嫌いな「音楽的」という言葉について考え始める。そして、その日の夜にあった『musimissile』という、ピアノ+コンピュータ+映像による同時多層的なコンサートを、僕は「音楽的」だと思ったのだ。