この filmachine を体験しに、はるばる山口まで行ってきた。
上の写真では、さっぱり分からないと思うので(笑)、簡単に説明するとですね、
サウンドアーティスト、作曲家の渋谷慶一郎と、複雑系科学研究者の池上高志両氏のコラボレーションによる新作サウンドインスタレーション。彼らが提唱する複雑系科学を応用した新しい音楽構成理論「第三項音楽」に基づいて緻密に作り上げられたコンピュータサウンドによる立体音響インスタレーションです。
直径約7.5m、高さ約5mの円柱状に均等につり下げられた一周8個3層から成る24個のスピーカー群と、そこから再生されるサウンドを完全制御する立体音響システムHuron(ヒューロン)、db(デシベル)データによって点滅するLED照明、それらを様々な高さや位置で体験するために、不均等に組み立てられた床面の箱の集積から構成されています。観客は、作品空間に入ると、通常の安定した知覚をアンジュレーションのある床によって取り払われ、局在的に動くサウンドが生み出す新しい空間性と移動感覚に耳を奪われながら、作品空間内を自由に動いて体験することができます。
というもの。(説明じゃなくて引用だけど。)
で、感想はというと、予想範囲内の想像通り。つまり、想定内。
ツヅク…
久しぶりに僕が生まれたころのアイデア誌を見ていたら、久しぶりに柴犬チェア(僕が勝手にそう呼んでいる/犬写真奥)に出会った。やっぱりこれは欲しい。
この犬チェアシリーズは、グラフィック・デザイナーの福田繁雄さんが「私の椅子」展のときにデザインされた椅子。他に、柳宗理、渡辺力、吉村順三などなどそうそうたるメンバーによる「私の椅子」が載っているのだけれど、これだけ次元違いでぶっ飛んでいる。ずるいぞ福田(さん)。
昔のデザイン誌を見ていると、大変参考になると同時に、すべてやりつくされている感に取り憑かれてしまう。音楽同様、ツールの変化というのが大きいんだなー。
ビョークの『サラウンド』、楽しい(笑)。
期待以下ではなくて、期待通り。何曲か「おぉおー!」というのがあるけれど、後は、「こうなるだろうな」って感じ。といっても全部全部聴いたわけではないのだけれど。(『ポスト』のあのミュージカル風な「It’s oh so quiet」はかなり楽しい)
ある意味、ベックの『Guero』の5.1chを聴いたときの感想に似ているかも。サラウンドの効果はあるけれど、楽曲的に貢献しているかという点ではやや疑問な感じ。(といっても、『ヴェスパタイン』以降はもちろん素晴らしいです)
あと、この『サラウンド』は、デュアルディスク(片面がCD、もう一方の面がDVDという両面型のディスク)でのリリースなのだけれど、やっぱりDTSでは、SACDマルチの音質にはかなわないのだな(まあ、当たり前だけど)。サラウンドを広めるということ、たくさんの人に聴いてもらうということを考えても、当然でしょうな。
サラウンドといえば、YCAMでのサウンドインスタレーション『filmachine』。数人に「9月に行くんだ」なんて言ってましたけど、雲行きが怪しくなって来ました。でも、カールステンの『シンクロン』同様、こういう作品は体験しかないですから。
昨日は、オペラシティにて、セミナー「Web2.0時代のPublishingツール最前線」を受講後、ICCで「キッズ・プログラム」、アートギャラリーで「インゴ・マウラー展」を鑑賞、その後、オペラシティのすぐ近くにある建築家のアリメさんの事務所へ。
「アアルトのフラワーベースが!!」(上の写真)
そこで、上の写真のような衝撃的な風景に出会う。さすがアリメさん。既成概念に囚われてはいけないのだ。と、これに象徴されるように、僕の思想(といえば大げさだけど)の核となっていたことも、コロッと転がされつつ、終電までお話しする。
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インゴ・マウラー展でみた、テンセグリティ構造の「ライト・ストラクチャー」に釘付けだったけれど、あれ、点けると明かる過ぎなんだろうなー。
芸術における「クオリティ(完成度)」について、結構長いスパンで考え続けている。越後妻有アートトリエンナーレで感じたクオリティの低さ、あるいは格差は、僕にある確信めいたものをもたらした。(このトリエンナーレについては、REAL TOKYO にて小崎哲哉さんが触れられていて、これにはすごく同感。)
学生の頃には、「クオリティよりもコンセプト」もなんてほざいていたけれど、そういう考え方は、科学的細分化のもたらした弊害であって、「クオリティ」も「コンセプト」の具現の重要な要素であることに気付いていなかったのだ。(例えば、池田亮司が指摘しているように、ミースから完成度の高さを除いたらどうなるか、または安藤忠雄からクオリティを奪ったらどうなるかを考えて欲しい。)
「どちらか」という考えは捨て、もっと「包括的」に考えるべきなのだ。なんて。