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続・LINN CLASSIK

LINN の CLASSIK(CDプレーヤー内蔵プリメインアンプ)を導入して約2ヶ月。今のところ音的には全く文句はないのだけれど、機能的という意味でのデザイン、特にリモコン(写真左)なんかは、ちょっとこれどうなんだろう(笑)。

ボタンが(色分けされているとはいえ)、配置・形状は全て(ほぼ)同じ、しかも、数(機能)が多過ぎ、さらに、作りも本体と比べるとかなり安っぽい、という具合に、いくらでも文句が出てくるわけです…(隣のパイオニアのリモコンも同様にひどい…)

というわけで、アフォーダンスや機能美について考える。

(誤解のないように書くと、僕は LINN CLASSIK を悪い商品だと思っているわけではなくて、その逆なわけで、なので、すごく残念に思っているわけです…)

脱オーディオ(元オーディオマニア)

細々と再開していきますよー、と書きながら全然書いていませんが(笑)、オーディオの方はこんな感じにリセットしたのでした。

Twitter をお読みの方はご存知かと思いますが、耳を悪くしてからというもの「脱オーディオ」を標榜している僕なわけですが、まあ、なんというか、元オーディオマニア的オーディオといいますか、えー、結局何を目指したかといいますと、自分が「音楽好きにはこれくらいのオーディオで聴いて欲しいなー」と思っていたシステム。

スピーカーは Rogers の LS3/5A、アンプ・CDプレーヤーは LINN の CLASSIK(sonihouseさんも絶賛! )。いやー、良い音、「音楽的な音」(デザインもいうことなし)。

そして、初めての巨大なテレビ(40インチ)。これは音楽を長時間楽しめなくなったので、かわりに映像を楽しもうじゃないか、ということ。

後は、TVボードの左側に置くターンテーブルの台を入手するのみ。

うん。

耳、その後

耳(低音型突発性難聴)ですが、その後、一時回復に向いつつも、先週末にまた不調になり、先日からまた復調、という感じ、いわゆる「三歩進んで二歩下がる」です。

というわけで、復調しつつある今日、試しに最近買った、The Alps『Le Voyage』と、Ous Mal『Nuojuva Halava』を聴いてみたり、ついさっきまで João Gilberto in Tokyo を聴いたり。

うん、間隔をおいて(小音量)で聴く分には大丈夫かもしれない。でも、聴いた直後は、長時間ヘッドフォンを使用したときのような、耳の疲労感(圧迫感)があるのも事実。

明後日の通院で終わりにしたかったけれど、もう少し続くかもなー。

なー。

(音楽をまともに聴けない→元気が出ない→ブログを書けない、という循環だと思われるので、通常更新になるまで、もう少しお待ちください…)

通奏低音

音楽を聴いて「歌」や「メロディー」を楽しむことは出来るけれど、「構造」や「テクスチャー」を楽しむことができない、低音が聴こえにくくなると。

というのは、通奏低音がつかめないと「音楽」としてはおもしろくない、なぜなら「構造」的に土台がない、スカスカなものを聴いていることになってしまうから。

(クラシックの名曲の主旋律だけとってつけたポップスの曲に感じる違和感は、構造美を無視して装飾だけ別の単調な構造にくっつけちゃったからだろうなー、関係ないけれど・笑)

そして、低音が(不自然に)ない音には「厚み」や「深み」がない。立体感が失われると、当然「テクスチャー」は不明瞭になってしまう、というわけです。

で、ならば脳内再生で音楽を楽しめばいいじゃないか、となる(?)のだけれど、

音の「テクスチャー」を脳内再生することは難しい(少なくとも僕にはできない)。

んだなー。「構造」はなんとか頑張れば、なんとかなりそうだけれど、音の気持ちいい・おいしい「テクスチャー」はかなり難しい。さらに、両方同時は至難。

つまり、耳よ早く治ってくれ(!)、という話でした(笑)。

はい。

低音型難聴(3)

低音型突発難聴(低音障害型突発難聴/急性低音障害型感音難聴)にまたなってしまう。ブログを見ると(こういうときに便利)、4年前と2年前に発症しているから、これで3度目。

今回ショックだったのが、左耳の方が聞こえにくくなっていたこと。前々回、前回では右耳がより悪く、完治後も違和感(実際に聞こえ方が日によって違っていたり)がずっと残っていただけに、今回、例え完治したとしても、左耳にもこの違和感が残るかもしれないと思うと、お、恐ろしい…

日常生活に(ほとんど)支障はないし、音楽を聴けなくなるわけではないけれど、「音」、「オーディオ」という趣味からは、距離をおくことになるのかも。

昨日読んでいた、『』no.87での長沼毅さんの言葉が過る。

 たとえば、アメリカ人は、困難に出会った時になんとかそれを打破しようとする。運命を変えようとするじゃないですか。それは彼らの根本的な姿勢なんだけど、僕は学生に言うんです。やめとけと。変えようとするのは誰でもできる。運命を受け入れる方がはるかに難しいんだよと。でもそれはすばらしいですよ。運命を受け入れると途端に人生が明るくなる。それは奴隷根性だと言われても、いいんだよ、奴隷のカリスマになれと。