念願かなって、CECのD/Aコンバーター「DA53」を入手。(D/Aコンバーターというのは、デジタル信号をアナログ信号に変換する装置のことです。)
なぜ、DA53が欲しかったかというと、上の図にあるように、PCからの“音”データをUSBで受けることができるからで、しかも、その音はDA53の定価の5倍以上するCDプレーヤーより(ある意味)音が良いから。(詳しくは、AB誌 vol.42 P.189~191 参照。)
どう音が良いのか。単純に書くと「鮮度が高い」ということかな。僕がCD再生として(CECのTL5100Zが逝ったあと)使っていたマランツのDV9500と聴き比べると、その差は歴然で、iBook→DA53の音を聴いてしまうと、DV9500の音なんかは、膜がかかったような覇気のない音に聴こえてしまうのだなー。
これで、CD再生も一段階レベルアップしたのでした。うふふ。
土日ともに朝5時起きとハードだったので、今日はスローダウン。。
猫と音楽、読書にコーヒーといこう。
うふふ。
(詳しくは、仙台から戻って来たら書きます。日曜夜、もしくは月曜に。おお、こんなにも違うものなのか!)
ビートルズ『LOVE』のサラウンドは、こんなにも素晴らしいものだったのか。今日の今日まで、さっきまで気が付かなかった。。
というのも、リアスピーカーの音量設定に問題があって、今までは他のソフトと同じようにリアはちょっと小さめで聴いていたのだけれど、今日(打ち合わせ兼)遊びに来ていた human record・K君の「後ろ(のリアスピーカーのヴォリュームを)ちょっと上げていいですか?」という発言により、化けたのだった。リアにも、もの凄い量の情報が入っていたんだなー。(K君、ありがとう!)
いや~、まさに圧倒的。僕の中でのサラウンド御三家、ビョークもベックもコーネリアスも吹っ飛んでしまった。。
良いライブを観た後に来るあの心地よい疲労感に浸りつつ、後は、ただ「凄かった…」と惚けるのみ。
初めてこのスピーカーを雑誌で見たときは、まだオーディオマニアでもなんでもなくて、直感的に恣意性を感じ、「わざわざこんな形にする必要性がどこにあるんだ!」と思ったことを覚えている。
ところが、その数年後、このスピーカー、B&W社の Nautilus は、「理想の音を追求した結果」の「形」であることを知る。「形態」が「機能」に従ったのだ。(詳しいことは書きませんが、このスピーカーは車で言うとF1みたいなもんです。)
この事実を知った後に、僕の態度はコロっと転がり(笑)、ノーチラスは憧れのスピーカー、一度は聴いてみたいスピーカーになったのでした。
そして月曜に、念願かなってこのスピーカーの音を聴くことに。まさにノーチラス(オウム貝)のような異様な形、その無視することのできない圧倒的な存在感と対峙する。ところが、音が出た瞬間、音楽が始まった瞬間、ノーチラスはその存在を消し、そこには音楽があった。
あまりにも自然な音の出方(まさにストレスフリー)、スピーカーが消えるというのはこういうことか!
「理想の音」を出すために作り出された「形」が、生物っぽい姿になったことにも興味をそそられるし、なによりもその「結果」が見事なまでに音に昇華されていることに驚いたわけです。(もちろん使いこなすユーザーの力量にもよりますよ。)
さて、それでノーチラスは完璧なスピーカーかというと、ある意味完璧なスピーカーではあるけれど、これがとても「扱いづらい」、つまり「使いにくい」のだ。ものすごくデリケートにできているし、スピーカー1本につきパワーアンプだって4台もいるし。
それが思想的にであれ、機能的にであれ「理想」を「形」にすると、それらは総じて「使いにくい」ものになってしまうのだろうか。すぐにでも反論できそうな問いだけれど、今のところの僕には思いつかないのだなー。