日曜は、Afterhours さんのコーヒー教室へ。前々から一度行ってみたいと思いつつも、なかなか予定(や気分)が合わず… だったのだけれど、ようやく行くことができたのでした(写真はカメラ忘れたのでなし)。
坐禅の教室に行ったときもそうだったのだけれど、自分では結構できる、できているんじゃないかと思っていても、意外と基本がなっていなかったり、(圧倒的に)勘違いしていたりするもので、今回は、ペーパーの折り方が(ちょっと)違っていた! という衝撃的な事実(笑)などなど、「コーノ式で淹れるコーヒー」の基本を、楽しく(ときに真剣に)学べたのでした。
コーヒーなんて適当に淹れていても、それなりに楽しめるものだけれど、ちょっとした基本を実際に淹れながら教わることで、全然違う「おいしい」ものになるわけで。
そういう風に考えると、コーヒーとオーディオの世界は(その「手軽さ」から「深さ」への長大なグラデーション具合などなど)似ているなー、と思うのだなー。
オーディオ教室、なんていうのがあったならば、同様に学べることは多いはず(同じコンポでもちょっとしたことでこんなに音が違う! 的な)。
な。
Beck の新譜、まさに新譜(楽譜のみ!)な『 Song Reader 』でございます。詳しくは、こちら(おそらく日本語で一番詳しく書いてある)。
デジタル配信優勢なこのご時世に、“楽譜”というスーパーオールドなスタイルで新譜を出すというのは、まあ、色々なご意見があると思うけれど、僕なんかは純粋にとっても良いことだと思うのだなー(ベック先生の真意は、こちら)。
ただ、僕の場合、楽譜も読めないし、楽器も弾けないのでアレなのだけれど、写真にある通り、現物は美しいグラフィック(全20曲の楽譜それぞれにも素敵なイラストレーションなど!)でございまして、持っていて、眺めているだけでも、充分満足度高いですよ。
はい。
(ちなみにカバーのタイポグラフィは、Jessica Hische さん)
先週の金曜は、ニューオータニ美術館にて「大正・昭和のグラフィックデザイン 小村雪岱展」を観賞(写真は、買って帰ってきたポストカードセット)。
何週間か前に、NHKの日曜美術館(アートシーン)で紹介されていて、とっても良さそうだったので行ってみたのだけれど、これがもう本当に良くてですね、何というか、日本画の伝統を踏まえつつも、しっかりとグラフィックデザインしている、のだなー(上の写真じゃ分からないと思うけれど)。
数々の装丁における、線、色、グラデーション、空間(間)などなどの使い方が、本当に素晴らしくて、久しぶりに頭が一瞬真っ白になるくらいの衝撃もあったり。
ただ、図録が残念なのが残念なのだけれど、それだけに本物をしっかりとこの目で見られて良かったとも言える(けれど残念…)。
ああ。
P.S. 展覧会は25日まで、なのでもう終わっています。
國分功一郎,著『暇と退屈の倫理学』、読了。数年前に耳を悪くしてからというもの、オーディオという趣味を半ば諦め、同様に音楽鑑賞という(中学生の頃からの一番の)趣味にも一定の距離を置かざるをえないわけで、つまり、以前より「暇」が増え、漠然と(本書にもあるように)「なんとなく退屈」という心的状況が続いてまして、それで、読んでみたのでした。
著者が言うように、本書の結論に意味があるというよりも、「本書を通読するという過程を経てはじめて意味をもつ」ような、哲学的な思考法を学んでいくような、そんな感じ。
私的には、ハイデッガーによる退屈の3つの形式や、ユクスキュルの「環世界」という概念が、思考の道具として使えそうな、そんな感じ。
とりさらわれたい、動物になりたい。
スガシカオさんも突発性難聴だったのかー。ブログを読み、しばし共感。
気晴らしに好きな音楽を聴いても、左右で音がバラつき、ステレオで聞こえないからつまらない。
世界の終りのような気分だ。
分かります、分かります。
僕の場合も、日々の状況は微妙に変化していて、最近は調子良く安定はしているけども、
音楽を中音量(大音量はムリ)で聴くときは、3〜5曲くらいしか連続で聴けないのだなー。
なー。