最近の仕事のBGMは、「ロックもジャズもR&Bもヒップホップも、聴いてきた。だけど…このラジオステーションから流れるクラシックは、いままで聴いたどの音楽よりも、長く付き合えそうな気がする」らしい(笑)、OTTAVA。
下に書いたカウエルの曲は、OTTAVA con brio(amoroso でした!) で知ったのでした。ラヴェルの弦楽四重奏曲(第4楽章)もかっこよかったなー。僕の持っているラサール・カルテットの演奏よりもテンポが速く、エモーショナルな感じが。
そんなわけで、クラシック熱も上昇中。
ここで知った、浜田武士さんの作品(仕事)いいなー。デザインとアート。この路線。
仕事部屋に掲げていた「働かざるもの食うべからず」(笑)を、「一日作(いちじつな)さざれば、一日食(くら)わず」に変更せねば。これは、今ハマっている森博嗣から。
時計回りで、『カウエル:カルテット、ヴァイオリン組曲、他』、Nico Muhly『Mothertongue』、Fennesz, Dafeldecker & Brandlmayr『till the old world’s blown up and a new one is created』、そしてLPが、ガスター・デル・ソル『カモフルーア』。
一昨日+昨日と買ってきて、今日聴いていたもの。どれもこれも素晴らしく、うれしくなって(?)、ついもう1枚ネットで買ってしまう(笑)。
ヘンリー・カウエルは、ラジオで聴いて気になった「フルート、オーボエ、チェロとチェンバロのための四重奏曲」という変則的なカルテット目当てだったのだけれど、今は「ピアノと小管弦楽のためのアイルランド組曲」がお気に入り。ピアノの内部奏法の音色が、フェネスたちのアルバムに繋がる、というのがあるからかもしれない。
Nico Muhly は、MPさん経由。タワレコで何度か試聴しつつも、ジャケット的にうけつけない(なにかひっかかる)ものがあって(笑)、今まで買わなかったのだけれど、ウチで聴かせてもらい「これは興味深い」と思い、今日聴いて「うーん天才かも」と思うに至る。
フェネス、ダフェルデッカーとブランドルマイヤーは、久しぶりの“試聴”買い。他に安心して買えるアルバムがあったこと、そして、ジャケットが良かった(非常に凝っている)ことが要因。即興をリコンポーズするという手法で作られたそうで、うーん音響的。無音(正確にいうと無音ではない)の使い方が(ジョン・ケージの「4分33秒」的に?)妙。
ガスター・デル・ソルは、見つけたら買おうと思っていたラストアルバム。こういう感じだったのね。
そうそう、吸音材。天井に付けてみたポリエチレン製のホワイト・キューオン(笑)よりも、スピーカーの下に置いたフェルト(3mm厚)の方が効果大な感じ。スピーカーと床の間が低音の鍵らしい。
うん。
昨日、今日と買い物。吸音材系と、CD、LP、そして、本。明日は、吸音材を天井に貼ってみたりしながら、買ったCDやLPを聴き、本を読む予定。幸せすぎる予定(笑)。
食材も余るほどあるし、コーヒー、スイーツだってある。というわけで、明日に続く。
答えは、「スピーカーの高さ(床からの距離)」でした。重低音崩壊問題(笑)は、これでクリアー。写真は、スピーカー足下、スパイク+スパイクカバー(?)+黒檀ブロック。
オーディオ的肉体労働のヘルプをしていたとき、ちょっと時間が空いたので、オーディオ評論家先生に悩みを打ち明けたところ、「壁から充分な距離を取る、(ボードなどを置いて)床の強度を上げる、それでもだめなら、(大きめのウッドブロックなどを使って)スピーカーの高さを上げること」とご教授いただき、翌日、遊びに来てくださったMPさんに手伝ってもらいながら、さっそく試してみたのでした。
さらに、MPさんにもたくさんのご意見・ご提案をいただき、色々(アンプの置き方、電源の取り方など)実験し、その後もひとりで試行錯誤した結果が、今(写真ね)の状態。ひとりでもんもんとやっているより、信頼できる客観的な意見をもらった方がやっぱり進展が早い(!)。オーディオベーシック誌でのマルチフォーカスチューニングの連載を思い出したり。
実際、MPさんがいなかったら、スピーカーの下に置いていたボードを取ることは永遠になかったかも。一度すごく効いたものはなかなか外せないもんだもん。
それにしても、床から3cmくらい高くなっただけで、これだけ低音の出方が違うとは。新しい部屋は、前の部屋の何倍もシビアに反応するらしい。
おっと、仕事しなきゃ(笑)。
そうそう、日曜に『巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡』を見るため、国立新術館へ。この美術館、(風評を総合して)考えていたより悪くないところだったけれど、やっぱりあのぐにょぐにょは「とってつけた」感ありありだし、「建築とロゴが全然あってないよなー」という声が聞こえたくらい(そして、「あんなすぐに古くなるようなロゴでいいわけ」という声も聞こえたくらい・笑)、つまり、そんな感じ。
でも、だがしかし、ピカソはやはり天才だった。意識的にか無意識的にか分からないけれど、完璧にコントロールされている線、形、構図、色彩、、、、つまり、全てにおいてパーフェクト。簡単に書いてあるように見えるものですら、その線の必然性を説明できてしまうかのような、そんな天才性。
《ドラ・マールの肖像》の(右手の)美しさよ!
参りました。