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an anthology of noise & electronic music

今日は久しぶりの休日。心配していた案件も無事解決。後は、心ゆくまで音楽聴き、読書し、元気になった猫と戯れるのみ。

写真、『an anthology of noise & electronic music』の #1 は、最近のお気に入り。2年半くらい前に読んだ、佐々木敦,著『テクノ/ロジカル/音楽論』の冒頭に紹介してあったのが、このCDで、当時探したときには(やや)入手困難だったため買うことができず、忘れていたのだけれど、先月、ディスクユニオンで見つけ、2枚組で2,300円だったこともあり、買ってみたのでした。

ジャケットを見て「おおっ」と思った人、そうです、コルビュジエ(とクセナキス)設計のフィリップス・パビリオンです。そして、そうです、このCD(2枚目)にはパビリオン内で流されるために作曲された、ヴァレーズとクセナキスの曲が入ってます(もちろん)。

聴いてみると、ヴァレーズはそうでもなかったけれど(笑)、クセナキスの「コンクレートPH」は素晴らしく美しい(!)。約2分の短い曲だけれど、細かい粒子が魚の群れのように“動き”を形成しながら、、、(うーん、サラウンドで聴きたい)。

この2曲(1曲?)だけでも僕的に買う価値ありだけれど、他にも、1921年から2001年までの「ノイズ・ミュージックと電子音楽」からセレクトされた、例えば、ルッソロ、シェーファー、ナム・ジュン・パイク、ジョン・ケージ、ソニック・ユース(!)、大友良英、DJスプーキー、池田亮司などなどが収録され、さらに、単純な年代順ではない曲順もクリエイティブで素敵( #2 も今度買ってみよう)。

うん。

科学する

先日、友人とお好み焼きを食べながらお話ししていると、友人が「もっと科学的にさあ」とか「ちゃんと科学されてない」など、「科学」という言葉を妙によく使うではないか。いわゆるメディアがよく使う「科学」(科学的に実証された=だから正しいとか、その逆ね)という言葉に嫌悪感を持っていた僕は、彼の使っている「科学」も同じようなものだろうと思い、科学主義批判を始める。

ここで、僕と彼が友人でなかったら、ふつう喧嘩になっちゃうんだけれど(笑)、僕達は友人だから、もちろんそんなことにはならず、建設的な“会話”が継続され、僕のいう「科学」と彼のいう「科学」が違うものだということに(当たり前ですね)気が付く。

一度辞書を引いて調べた方がいいよ、と彼がいうので、さっき(大辞泉で)調べてみると、確かに彼のいうような意味が書いてあった。

一定の目的・方法のもとに種々の事象を研究する認識活動。

これならば僕も好きだし、大賛成。続いて、

また、その成果としての体系的知識。研究対象または研究方法のうえで、自然科学・社会科学・人文科学などに分類される。(中略)広義には学・学問と同じ意味に、狭義では自然科学だけをさすことがある。

うーん、なるほど、僕は「狭義の科学」、というか、自然科学的な絶対性・普遍性でもって社会科学・人文科学を語る科学者・フォロワーを無自覚に批判していたのだなー、と認識。

人の精神性(や身体性)が関わってくる事象に、“絶対”とか“普遍”を持ち出すのはちょっと難しいと思うよ(“ある”ようで“ない”ような?)。

うーん、嫌うあまり、いつのまにか「科学」をひとかたまりとして見ていてしまったようだ。そういう考え方が嫌いなのに(ゆえに?)。

落とし穴はいっぱいある。

つづく(かも)。