
えー、守矢史料館、「御頭祭」の展示の一部、うさちゃんです。写真で見たことはあったけれど、同じような小動物を飼っている身としても、ちょっと衝撃でした。
手(前足)とか、真っ白なお腹がかわいいので思わず触りたくなる、が、死んでいる、ぶっ刺されている。そういう感情の揺り返しから、なんとも不思議な感覚が呼び起こされる。
僕にとってはアートです、ぶっ刺しうさちゃん。
後で、森美術館で見たデミアン・ハーストの「母と子、分断されて」(分断されたホルマリン漬けの牛ね)を思い出す。
とにかく、守矢史料館とその周辺は(僕にとっては)とても素晴らしいところ。何もないようで(あるもの、見るものが少ないようで)、何かがあるところ。場の力、というやつも絶対に関連している、とも思う。
また行きたい。



守矢史料館の近くにある高過庵に、ついでのついでに(というかもちろん)行ってみる。
こちらは想像以上にかわいい(!)。周りの里山な風景に馴染んで“いる”ような“いない”ような、“建っている”のだけれど“浮いている”ような、心地よい違和感満載(!)。
これを見てわくわくしない人はいないでしょう(笑)。
建築をあれだけ(詳しくしりませんが)研究してきた人が、頭でっかちにならず、こういう(古いような新しいような)方向でもって、こういうものを作ってしまうことに、写真や映像で見てきた認識より、大きく驚く。
つづく。



昨日は、同居人の久しぶりの休日(つまり今日は働いている)だったので、得意の「車でどこかへ行きたい」ということになり、どこか涼しいところへ、長野の蓼科中央高原へ行こう、ということに。
2,000メートルを超える高さの高原(山?)を車でビュンビュングイングイン疾走。新鮮且つ涼しい空気がなんとも気持ちよいことに。
で、ついでに、その前後に、神長官守矢史料館(藤森照信設計)と小海町高原美術館(安藤忠雄設計)へ行く。
で、上の写真が、神長官守矢史料館。展示品も含め予想以上に素晴らしいところ(!)。歴史的・土着的(?)なテクスチャーによって、そんな雰囲気が醸し出されている建築だけれど、構造(立方体に倒したショートケーキをぶっ刺したような構造)は現代的、ということに、実物を見て初めて気が付く。さすがは藤森先生。かわいくてノスタルジーなだけじゃなかったんですね(当たり前ですね)。
それと、一番上の写真(史料館手前のスペース)の奥に見える“ほこら”とその前の空間がまた素敵。日本的な“神”の存在をうっすらと感じつつ、しばしぼーっと涼んだり。
つづく。
下の下のエントリーで書いた iPod touch + Remoto ですが、実は、書いた次の日から使うのをやめていまして。
理由は複数あって、ときどき「音が途切れる」ことや「ノイズが入る」こと、iPod touch の「バッテリーの消耗が激しい」こと、など。そして、一番の大きい理由は「音質がよくない」こと。
Remoto を使うことで音質が悪くなるのか、についてはよく分からないけれど(だいたいノイズが入ることが怪しいけれど)、そもそも、僕の仕事時のBGMは、BGMではない(!)、というインポータントなことに気が付く。
電話の度に「音を小さくしなきゃ」というぐらいの音量で聴いているわけですよ(笑)。バックグラウンドじゃなくて、(音質を含め)ちゃんと聴いちゃっているわけです。
「良い音楽」を「良い音質」で聴く → 気分高揚 → 良い仕事ができる、という図式。僕の場合。
メンタルな部分は、すごく仕事に影響する(と思う)。