『誰も知らない 世界と日本のまちがい』を読みつつ、『事典 世界音楽の本』の第3章「制度」を読み始めると、以前読んだ、アドリアン・フォーティ,著『欲望のオブジェ』を思い出さずにはいられない。
というのは、よくメインで語られるもの(人や出来事)の裏側で何が起きていたか、それを俯瞰して見たときに社会や経済がどのように関係していたのか、という点で類似しているからで、『欲望のオブジェ』を読んだ時点では、今までの視点(偉人を中心とした見方)との相違からか(頭では分かるけれど)何か馴染めない感じが残ったのだけれど、今、包括的な視点での本に触れまくっていると(笑)、グラッと理解できつつある。
例えば、
18世紀後半から19世紀にかけての、一般に「近代」と呼ばれる時代は、音楽をはじめとする「芸術」が教会での典礼や宮廷での社交といった、宗教的・政治的なくびきから解き放たれ、それ自体としての価値を認められる自律的存在になった時代としてイメージされてきた。だが、それはこの時代の一面にすぎない。というより、「芸術」の存在を保証するような施設や身分そのものが、この時代に作られた政治的・経済的システムの一端をなす社会的な「制度」であるとみるべきなのであり、近代的な芸術の自律性という考え方が確立するのが近代的な国民国家や資本主義のシステムが確率してくるのとほぼ同時期であるのは決して偶然ではない。
と『事典 世界音楽の本』にあり、うーん、なるほどなーと思っていると、『誰も知らない 世界と日本のまちがい』に、その背景である「国民国家や資本主義のシステム」について語られていたりして、相乗的理解を得られるわけです。
ということを、全仏オープンを見ながら書く。ヤンコビッチ対イワノビッチ、いったいどうなるんだろう(!)。
そういえばヤマギワリビナで見たあの椅子よかったなー、安田侃さんの作品みたいで。安田侃さんの作品は買えないけれど、これなら買えるか。いや買えないか(笑)、と思い出し、ネットで調べてみると、な、なんと、深澤直人氏のデザインだそうじゃないですか(!)。僕的意外。と同時に、なぜか所有欲が半分ほど失せる。
なんでだろう(?)、HIROSHIMA なんかは欲しいなーと思っていたりするんだけど。んーむ。
※写真は椅子つながり。
ELECOM、BlackGrast シリーズの「硯」。マウス問題、とりあえずこんなのを飼ってみました。
普段ならこういう感じのあれな商品は買わないのだけれど(笑)、しっとりとしたマテリアルが手になじみそうなのと、色が真っ黒っていうのもいいかも、白から黒って変わった感じがするし(!)、という感じで選抜。
いいところ。「従来のLEDを使った光学式に比べて認識率が高い高精度レーザーセンサー方式」を使っているそうで、白い机でもマウスパッドなしで使えるようになった。
よくないところ。その高精度のせいか、めちゃくちゃポインタが速い(!)。マウスの「軌跡の速さ」を一番遅いのより一目盛り前にしているのだけれど、それでも速い(一番遅いのはちょっと遅い)。ドライバ不要タイプだから、純正のドライバもないし。
あと、やはり軽い。なぜか肘が痛くなる。と書きつつもだんだん慣れてきた感もあり。もう少し使ってみるべし。
『事典 世界音楽の本』に書いてあった、
スピーカーの振動そのものと向き合うこと。スピーカーの向こうに神を見ないこと。
という大友良英さんの言葉を考える。
昨日は、Studio K’s で音楽喫茶後、すぐ近くのヤマギワリビナでワーキングチェアを物色後、わりと離れてABC本店。
5月の音楽喫茶、DJは安西利彦さん。なるほど「麻薬的な音楽」を楽しむ。うーん、甘美。いよいよ来月の終わりは僕の番。こんなにも良い音で自分の好きなブラジル音楽をかけまくれるなんて(!)、という感じで、僕自身がいちばん楽しみなのかもしれないと気付く(笑)。
ワーキングチェア、やはりアーロンよりもウィルクハーンだよな、ということになるが、やはりお高い。国産ものもじっくり見てみよう。
ABCにて、気になっていた松岡正剛,著『誰も知らない 世界と日本のまちがい』を購入。『事典 世界音楽の本』が(難しくて)なかなか読み進められないストレス解消のため、すらすらと読める本を読みたかったのです(笑)。タテ、ヨコ、ナナメに世界を語る。うーん、面白い。
体調は相変わらず、良かったり悪かったり。気温変化に弱すぎ。