フリージャズの説明で「メロディー、リズム、ハーモニーなど、いわゆる西洋音楽の理論や様式に従わない…」というのがあるじゃないですか、でも「従わない」ということは、つまり「メロディー、リズム、ハーモニーなどを使わない」ということになっちゃう(?)ので、それって逆に「不自由な音楽」なんじゃないの、って思ってしまっていて。
あと、プリゴンジンの言う「伝統的なものとの関係を制作の軸にしている」のではないかという懐疑もあって、あんまりアレだったのだけれど。
そのプリゴジンの言葉をよーく読み返してみると、
現代美術について言えば、ピカソよりもカンディンスキーからロスコに至る抽象絵画のほうに興味があります。ピカソのような画家は、批判的にではあれ、伝統的な絵画との関係を制作の軸にしていたのではないか。他方、抽象絵画というのは、直接に観察できるリアリティを超えて、もっと深い何かを見ようとする試みだと思うのです。
あれ、ピカソじゃなくてカンディンスキーなのかも、つまり「もっと深い何かをみようとする試み」なのかも、という考えに改める。抽象音楽だったのか(?)。
渋谷慶一郎さんが言っていた「構造があるものは聴ける」というのも興味深いなー、とか・など思いながら、ノーノの『Quando Stanno Morendo』を聴きながら、いただいたオーストラリアン・ワインを飲みながら、夜は更ける(つまり酔っぱらい・笑)。
EGG は無理でもスツールなら買えるかも、かわいいし、と思いきや、やはりお高いのですね。
今日はカレーを食べる会(笑)、明日は仕事。。
なんといったらいいのだろう、とにかく「素晴らしい(!)」ということは間違いなくて、なるほど“真にブラジル的”なコンテンポラリー・ダンスであって、あー、時間があったら、もっとゆっくりじっくり書き殴りたいのにっ(!)という感じ、でした(?)、昨夜のグルーポ・コルポ。
「お口あんぐり」状態(笑)な瞬間(本当に美しい!)が何度もあり、やはりブラジルって、アートっていいなー(!)、と思ったわけです。
特に、カエターノが作曲した「オンコト」の方は、、、まあ、とにかく「素晴らしい(!)」です(笑)。次の作品の音楽は、モレーノ+ドメニコ+カシンなんだそうだし、もう、なんか、楽しみ(!)。
いえい。
公私ともにちょいバタバタ。昨日は、新宿で打ち合わせ後、LOS APSON? 、吉祥寺に移り、「音語り」を拝聴。
LOS APSON? は、お噂通りのお店。応援の意味も込めてCDを買う。(「音語り」第2夜のテーマでもあった)「聴いたことのない音楽」に出会いたいという欲求は、やはり強い。
今夜は、コンテンポラリー・ダンス。楽しみ。
ゲーテの『色彩論』からのメモ、その2。
(前略)われわれがここで再び認めうるように思われるのは、網膜の著しい活動性と、あらゆる生物に何かある特定の状態が提供されたとき、それらが表出を迫られている無言の対立である。そこで呼吸においては呼気と吸気が、心臓の脈動においては収縮と弛緩が互いに他を前提にしているのである。それは生命の永遠の公式であり、ここにも表されているのである。(後略)
あるムーブメントにおける“揺り戻し”というものも同じことなのだろうか。プリゴジンの言葉(リンク先ページ中頃)を思い出してみたり。
今週は珍しく忙しくなりそう。