先日、ボブ・ディランの伝記的(?)な番組を見たのだけれど、印象的だったのは、インタビュアーに歌詞の意味するところを聞かれて、「あんたはどう思う?」と切り返し、まともに答えようとしない態度だった。
もちろん、何度も同じ(誘導尋問的)質問をされて、単純にうんざりしていたのかもしれないし、単なるメディアへの反抗的な態度なのかもしれない。でも、僕には、その態度がとても正しいように思えた。うまく言えないけれど。
同番組に出ていた、アレン・ギンズバーグのように知的に(詩的に)明確に語れることも素敵だと思うけれど、説明することによって陳腐化するものもある(と思う)。
ただ、ここで注意しなければいけないのは、思考停止にならないこと。安易な (untitled) か否か。僕の場合、前者(笑)。
昨日は、森美術館にて「英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展」。ターナー賞の趣旨には賛成ですし、デミアン・ハーストの作品を生で見たくて行ったのだけれど、写真で見る以上に感動するという事態にはならず。展示の仕方なのか、僕の感受性が鈍いだけなのか(笑)。
(あ、行こうと思っている方、六ヒルのショップに割引チケットが置いてありますよ)
あと、美術館で映像の作品を見るケースが近年圧倒的に増えているけれど、僕は(ほぼ)まともに見続けられたことはなくて、「展示方法をどうにかしなきゃいけないんじゃないか(画質・音質の向上も含む)」と、いつも思ってしまう。
あと、子どもと現代アート。子どもを持つと考えが変わるのかもしれないけれど、やはりアートを鑑賞する際、「(いわゆる)子どもは邪魔でしかない」と、いつも思ってしまう。
どうなんでしょうか。
「鋸山に日本一の大仏がある」という情報を聞きつけ、さっそく行ってみた、のは、火曜日のこと。
確かに日本一、日本最大なんでしょうけど、何か威厳とか、凄みみたいなものが僕には感じられなくて、結果、全体的に「うすい(?)」印象。
奈良の大仏を見たとき、鎌倉の大仏を見たときより感動しなかったのは、大仏殿の有無じゃないか、という仮説を立てていたけれど、日本寺の大仏を見て、「そうではないかもしれない」と思い直す。
つづく(かも)。
あ、鋸山、ハイキング的には良いところです。