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芸術人類学

遅ればせながら、中沢新一,著『芸術人類学』を読み始める。(ずっと気になっていたけれど、タイミングとフトコロ具合が、微妙に逸れ続けていたのです。)

読み始めると、「ああ、もっと早くに読むべきだった!」なんて思うけれど、きっと今、このタイミングで読むのでよかったのだと思うことにする。(そして、実際にそうなのであろう。)

矛盾をいかに止揚していく(誤魔化す)かということが、僕の20代のテーマ(ドグマ)だったと思うのだけれど、この本を読み始めて、「副論理=バイロジック」という言葉を知り、ちょこっと新たな地平が見えた感じがする。

まだ読まれていない、興味を持たれた方は、ほぼ日の「はじめての中沢新一」を読まれることをおすすめします。

久しぶりに、『虹の階梯』が読みたくなった。

graphic design 100

graphicdesign100

写真左、『タイポグラフィ トゥデイ』(1981年刊)が、増補・改訂されて、2003年に新版として発売されたとき、僕はこの本が大好きだったので、「これは、よいことだ」と思った。音楽でいうと、廃盤になっていた隠れた名盤がリマスター盤として発売されたような感覚で、「これで、みんなに勧められる」というわけだ。

そして、その『タイポグラフィ トゥデイ』を見て、僕が新版として発売して欲しいと思ったのが、写真右、『graphic design 100』(1986年刊)。デザイン評論家・勝見勝が編集長を務めた『グラフィック デザイン』誌の最終号で、内容は「グラフィックデザインの戦後史」、表紙は、亀倉雄策。(この表紙は疑問だけれど…)

第2回「8ビートの会」

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昨日は、我が家で、第2回「8ビートの会」。会といっても、ただお話をしながら好きな音楽をかけていくだけ。でも、これが一番楽しいことだったりもする。今回は、ゲストにアサノさん、そして、その友達のスズキくん。

一生の内にひとりの人間が知りうる・聞けることのできる音楽は限られている。しかも、興味があっても、聞いたことのないジャンルに足を踏み入れることって案外難しいし、好きなジャンルにしても、盲点があったり、灯台もと暗し的なことがあったりして、自分にとっての「名盤」を聞き逃している可能性は大いにありうると思う。

だから、こうやって、音楽好き同士が集まり、互いに好きな音楽を教え合い・補完し合うことが、重要になってくるわけだ。(と、偉そうに書いておきながら、本当は、ただ楽しいからやっているだけです。)

写真は、今回の僕のおすすめ盤、デヴェンドラ・バンハート『Rejoicing In The Hands & Nino Rojo』(2LP)。

(untitled)

070202

今日は、明日に備えて掃除・片付け。(写真は関係ありません)

最近、音楽のことばかり書いているので、来週は、積極的にデザインのことについて書いてみようと思う。(思うだけだったりもする)

Arto Lindsay

artolindsay

お借りしているマークレビンソンのプリアンプの音の傾向を考えていると、「そうだ、これはアート・リンゼイの音楽に合うかもしれない」と思い、彼のソロ名義のアルバムを全て聴いてしまったのは、昨日のこと。

コントロールされた暴力性とでもいいましょうか。

そして、今日。マークレビンソンに別れを告げ、もとのアキュフェーズに戻し、ぐちゃぐちゃのややこしいケーブル類の接続を終え、左右のチャンネルがちゃんと合っているかどうかを確かめるため、ジョアン・ジルベルトの『三月の水』をかける。

なぜ、『三月の水』かというと、ジョアンのヴォーカルが左に寄っている(声が左、ギターが右という感じ)からなのだけれど、これがなぜか、とんでもなく素晴らしい音で鳴ってくれて、まるまる聴き通してしまう。本当に、パーフェクトにエクセレントなアルバム。

しかし、最後の曲「イザウラ」だけは、このアルバムにはそぐわないんじゃないかと、聴く度に思ってしまうのも事実。(ジョアンもこの曲の録音には満足していないそうだし)

それにしても、最近のアート・リンゼイを見て愕然としてしまったのは、僕だけなのだろうか。ああ!