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marantz DV9500

9500parts

修理に出していたマランツのユニバーサルプレーヤーDV9500を引き取りに湯島まで赴く。わざわざ取りに行くこともないのだけれど、早く聴きたいし、いい運動にもなるしということなのだ。(DV9500は約10kgあるから、本当にいい運動にはなった。) 修理期間は約2週間。長かった。。

写真は交換したパーツだそうです。(ドライブメカっていうのでしょうか?)

帰宅後、さっそくセッティングし、CDをかけてみる。CDが再生しないという症状はぴっちり改善され、何より音がいい! ここ2週間ほどBOSEのCDラジオをCDプレーヤーとして使っていたのだけれど、やはり全然違う違う違う。(分かりやすくいうと、情報量と鮮度が違うのです。)

早くサラウンド環境も復活したいが、その前にお借りしているQUADの是非を検討しなくては。

犬猫・ブッダ

調子がよろしくないので、録画しておいた「犬猫」とか「リトル・ブッダ」を観て過ごす。「リトル・ブッダ」もベルトルッチ&坂本さんのコンビだったのか。知らなかった。

そういえば、日曜に、K2の長友さんのブログで紹介してあった、本むら庵の鴨せいろそばを食べた。あれはうまかった。もちろん、鳥わさ、とりだんごも美味。良い店だと思っていたけれど、もっと好きになる。

studio ENGAWA

midori

火曜と木曜に、家で物撮りの撮影が行われたのだけれども、なんとスタジオ代が出るらしい。広縁(広い縁側)で撮影していたから、さながら「スタジオ・縁側」。広縁がこんなに活躍するなんて、この家を借りるときには想像だにしなかった。拍手。

ここにはもう4年半も住んでいるので、僕なんかはすっかり慣れてしまっているが、編集者さんに「緑豊かですね」とか「鳥のさえずりが聞こえる!」なんて言われると、実はなかなか素敵なところで生活しているのだな自分と思ったり。

僕の定位置から見える外の風景(上の写真)。まさに自然。

他にも良いところを考えると、環境SNが高い、つまり静かであるとか、ピアノ可の物件なので、(お隣さんさえ外出していれば)大きな音で音楽が聴けるとか、猫が飼えるとか色々とでてきて、最近、家賃高いなーと思っていたけれど、なんだ良い物件じゃないか。

となごみつつ、同居人の作品を撮ってくださったカメラマンのMIHOさんの作品を見せていただき、僕もがんばらなきゃと自戒するのであった。

僕もカメラマンと組んで何か作りたい。

QV-30

qv30
qv30_2

昔のデータを探していると、つまり、MOとか外付けHDDなどを求めて押し入れの奥底をさまよっていると、すごく懐かしいモノモノがでてきた(CASIO|QV-30)。

これは、デジカメが一般的になったときの初期タイプで、父から譲り受けたもの。画質が悪すぎてほとんど使いものにならなかったけど、これはこれで携帯とは違った味のある絵が撮れるのだ。

以外と液晶が大きいことに驚きつつ、昔の自分にこんにちは(2枚目の写真)。

このデジカメはメモリカード式じゃないので、画像を取り込むにはPCへの接続ケーブルが必要なのだけれど、これが見あたらなくて、まあ、どうせあってもシリアルポート(!)変換だから使えないので、今度、電気屋さんでUSB変換を探してみよう。
(この液晶を直接複写っていう手もあるが・笑)

ポラロイドも見つけたので、しばらくはカメラ系で遊べそう。

Transculturation

22日の高橋悠治さんの講義を忘れないうちにまとめておこうなんて思うが、これがすごく難しい。まるで悠治さんの電子音楽を聴いているかのような、ある種のランダム性を含んだモジュールの集積的講話。話をまとめようとすればするほど本質から離れてしまう危険性を孕むあれです。

ので、断片、僕の記憶に残っている話の断片を書くことにする。まず、Transculturation 。文化がA→Bに伝わり、Bで独自の発展を遂げ、今度はB→Aへと伝わり、またA→Bとなったり、B→Cに行ったりという意味だと理解したのだけれど、ネットで調べてみた限り、なんか違うような。僕の勘違いなのか。響きというか意味するところが気に入ったので、Tシャツを作ろうなんて思っていたのだけれど。

あと、耳が高周波を発しているというお話しが興味深くて、「聴くことは発することと同じ」とか、音楽とは「いかに空間をつくるか」とか。これを受けて、前に書いた天球の音楽のことを考えたり。

一番印象に残っているのは、ペットボトルの蓋を片手で開けようとするがなかなか開けられないでいる悠治さんだったりで、案外こういうところに真意があったりなんて。

関係ないけど、「りんこ日記」の装丁、かなり好み。