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Beck の新譜、まさに新譜(楽譜のみ!)な『 Song Reader 』でございます。詳しくは、こちら(おそらく日本語で一番詳しく書いてある)。
デジタル配信優勢なこのご時世に、“楽譜”というスーパーオールドなスタイルで新譜を出すというのは、まあ、色々なご意見があると思うけれど、僕なんかは純粋にとっても良いことだと思うのだなー(ベック先生の真意は、こちら)。
ただ、僕の場合、楽譜も読めないし、楽器も弾けないのでアレなのだけれど、写真にある通り、現物は美しいグラフィック(全20曲の楽譜それぞれにも素敵なイラストレーションなど!)でございまして、持っていて、眺めているだけでも、充分満足度高いですよ。
はい。
(ちなみにカバーのタイポグラフィは、Jessica Hische さん)
先週の金曜は、ニューオータニ美術館にて「大正・昭和のグラフィックデザイン 小村雪岱展」を観賞(写真は、買って帰ってきたポストカードセット)。
何週間か前に、NHKの日曜美術館(アートシーン)で紹介されていて、とっても良さそうだったので行ってみたのだけれど、これがもう本当に良くてですね、何というか、日本画の伝統を踏まえつつも、しっかりとグラフィックデザインしている、のだなー(上の写真じゃ分からないと思うけれど)。
数々の装丁における、線、色、グラデーション、空間(間)などなどの使い方が、本当に素晴らしくて、久しぶりに頭が一瞬真っ白になるくらいの衝撃もあったり。
ただ、図録が残念なのが残念なのだけれど、それだけに本物をしっかりとこの目で見られて良かったとも言える(けれど残念…)。
ああ。
P.S. 展覧会は25日まで、なのでもう終わっています。
國分功一郎,著『暇と退屈の倫理学』、読了。数年前に耳を悪くしてからというもの、オーディオという趣味を半ば諦め、同様に音楽鑑賞という(中学生の頃からの一番の)趣味にも一定の距離を置かざるをえないわけで、つまり、以前より「暇」が増え、漠然と(本書にもあるように)「なんとなく退屈」という心的状況が続いてまして、それで、読んでみたのでした。
著者が言うように、本書の結論に意味があるというよりも、「本書を通読するという過程を経てはじめて意味をもつ」ような、哲学的な思考法を学んでいくような、そんな感じ。
私的には、ハイデッガーによる退屈の3つの形式や、ユクスキュルの「環世界」という概念が、思考の道具として使えそうな、そんな感じ。
とりさらわれたい、動物になりたい。