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The Errors of Nation State

昨日は、Studio K’s で音楽喫茶後、すぐ近くのヤマギワリビナでワーキングチェアを物色後、わりと離れてABC本店。

5月の音楽喫茶、DJは安西利彦さん。なるほど「麻薬的な音楽」を楽しむ。うーん、甘美。いよいよ来月の終わりは僕の番。こんなにも良い音で自分の好きなブラジル音楽をかけまくれるなんて(!)、という感じで、僕自身がいちばん楽しみなのかもしれないと気付く(笑)。

ワーキングチェア、やはりアーロンよりもウィルクハーンだよな、ということになるが、やはりお高い。国産ものもじっくり見てみよう。

ABCにて、気になっていた松岡正剛,著『誰も知らない 世界と日本のまちがい』を購入。『事典 世界音楽の本』が(難しくて)なかなか読み進められないストレス解消のため、すらすらと読める本を読みたかったのです(笑)。タテ、ヨコ、ナナメに世界を語る。うーん、面白い。

体調は相変わらず、良かったり悪かったり。気温変化に弱すぎ。

表出を迫られている無言の対立

ゲーテの『色彩論』からのメモ、その2。

(前略)われわれがここで再び認めうるように思われるのは、網膜の著しい活動性と、あらゆる生物に何かある特定の状態が提供されたとき、それらが表出を迫られている無言の対立である。そこで呼吸においては呼気と吸気が、心臓の脈動においては収縮と弛緩が互いに他を前提にしているのである。それは生命の永遠の公式であり、ここにも表されているのである。(後略)

あるムーブメントにおける“揺り戻し”というものも同じことなのだろうか。プリゴジンの言葉(リンク先ページ中頃)を思い出してみたり。

今週は珍しく忙しくなりそう。

sound cafe dzumi

念願の(といっても日曜に知ったばかりなのだけれど・笑)、sound cafe dzumi に昨夜行く。

「談」という雑誌の公開トーク(音をテーマにした対談)の場所として sound cafe dzumi を知ったのだけれど、場所が吉祥寺(つまり近所)ということがあって、「へぇー、そんなカフェがあったのかー」という感じで調べてみると、

オーネットやセシルが登場して半世紀。それら「自由音楽」のアーカイヴを聴き直し、語り合うカフェが吉祥寺南口に誕生!
即興演奏、FreeJazz、想像的民族音楽を俯瞰し[来るべき音楽]を志向する交流の場。
井の頭公園を眺望しながら、コーヒーやワインで至福のひとときを!

とあり、さらに知れば知るほど興味が募っちゃったわけです。オーディオもこんな感じに素敵そうだったし。

で、結果、大いに興奮して帰ってきたわけです。さっそく今朝、教えていただいたCD2枚を注文(!)。

今年の聴くべき音楽の方向性が決まったというか、なんか素晴らしい場との出会いというか。

客観と主観の仲介者としての実験

最近、バッグのなかに忍ばせて移動中や外出先で読んでいるゲーテの『色彩論』に、最近、僕の考えていたこととかなりの部分で重なることが書いてあったので、メモ。

私の見るところ、知識はあたかも閉じ込められた、しかし流動する水のように、しだいにある水準まで高まり、もっともすばらしい発見の数々は、人間によってよりもむしろ時代によってなされたと言っても過言ではない。ひじょうに重要なことがらが、同時に二人あるいはそれ以上の篤学の士によってなされたりするのはそのためである。前者の場合にわれわれは社会と友人達にひじょうに多くのものを負うているのだが、後者の場合はむしろ世界と世紀のおかげであり、両方の場合にわれわれがいくら承認してもしすぎることがないのは、報告・助力・勧告・異論などが、われわれを正しい道に保ち前身させるためにいかに必要であるかということである。

世界と世紀のおかげ。

いくら用心してもしすぎることがないのは、実験からあまり急いで結論を引き出さないこと、実験から何かを直接に証明しようとしたり、なんらかの理論を実験によって確証したりしようとしないことである。なぜなら、経験から判断へ、認識から適用へと移行するこの隘路でこそ、人間のすべての内面の敵が彼を待ち伏せているからである。想像力は、人間が相変わらず地面に触れていると思っているときにもう彼をその両翼で高い所へ連れ去っているし、性急・早計・自己満足・強情・思考形式・先入観・怠惰・軽率・無定見その他さまざまな名前の敵たちがここで待ち伏せていて、行動する人間だけでなく、すべての激情から守られているようにみえる冷静な観察者をも不意打ちするのである。

想像力の危険性。
以上、科学方法論、「客観と主観の仲介者としての実験」より。

ペダンティック〜(笑)。

眼の冒険

眼の冒険

松田行正,著『眼の冒険』を読み終える。写真は、カバーをとった表紙で、「スーパーマンIII 電子の要塞」オープニング・スラップスティックのフローチャートの部分。

内容は、デザインの現場で連載されていたものを纏めたもので、もちろん面白いし、勉強になるのだけれど、最も感心したのが、上の写真のような図で「よくもこんな図を作ったなー」と(このような図表がたくさん出てくるのですよ)。

この「過剰」さを学ぶ。というより思い出す。

僕も、何年か前までは「普通、こんなの作らないよねー」という類のものを苦にもせず黙々(ニヤニヤ)と作っていたりしたけれど、昨今では「そんなことやってもお金にならない」などのいわゆる大人な理屈によって躊躇していたんだなー。

下手な想像力が、創造力の邪魔をする。まずは、やってみる。それから、考える。

うん。