プリゴジン
芸術が決定論と非決定論の混合であるかぎりにおいて、芸術は自然界の象徴であると、わたしはいつも考えています。例えば、フーガやソナタを作曲するには一定のルールがあり、したがって一定の予測可能性がある。しかし同時に、そこでは予測不可能な変化が生じるのであって、真の創造性はそこにこそ現れる。これはわたしの考える自然像と対応しています。ですから、振り子や時計がニュートン的な世界の象徴であるなら、芸術作品は新しい世界の象徴である、と言えるでしょう。
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芸術が決定論と非決定論の混合であるかぎりにおいて、芸術は自然界の象徴であると、わたしはいつも考えています。例えば、フーガやソナタを作曲するには一定のルールがあり、したがって一定の予測可能性がある。しかし同時に、そこでは予測不可能な変化が生じるのであって、真の創造性はそこにこそ現れる。これはわたしの考える自然像と対応しています。ですから、振り子や時計がニュートン的な世界の象徴であるなら、芸術作品は新しい世界の象徴である、と言えるでしょう。
低飛行中。急ぐ仕事もないので、ひたすら音楽を聴きながら読書。英気を養う。
ヘヴィーな『芸術人類学』を(ようやく)読み終え、続いて、春樹さんの『スプートニクの恋人』と『アフターダーク』を久しぶりに読み返す。そして、この2冊の(僕のなかでの)評価は逆転する。
あるアーティストのある作品に感銘を受けると、他の作品にも同じ種類の感動を求めてしまうというのは往々にしてあると思う。確固としたスタイルのあるアーティストならば、“ひとつ好き”→“全部好き”ということになりやすいけれど、作風が変化していくタイプのアーティストの場合には、もっと根底にある“主張”のようなものに共感がないと、興味を失いがちになり、もっと言うと“失望”してしまう。
音楽。一昨日はひたすらクラシック。クラウディオ・アラウの弾く『ワルトシュタイン』から始まり、リヒターの弾くシューベルトのピアノ・ソナタ13、14、16、そして、4つの即興曲。『ワルトシュタイン』の(ジャズみたいな言い方ですが)テーマに戻る前の一音に心震え、シューベルト独特の“強度”に惹かれ続ける。そして、昨日はひたすらジャズ(フュージョン)。
うれしいことに、ここ数日間、音がとても良い。引き戸の障子部分(2枚)にフェルトを貼ったからなのか、スピーカーが小慣れてきたからなのか、それとも、単に暖かくなってきたからなのかは分からないけど、とにかく良い。
良いこともある。
『D勉強会』に触発されて、“ロングライフデザイン”ということについて考え続けている。「自分の一番長く使っているモノは何か」、「世界で一番長く使われているモノは何か」というような基本的な問いから始まり、、、「長く使われ続けるシステム」について妄想する。
そんなことを考えていると、ヴィクター・パパネック,著『地球のためのデザイン』を思い出す。ここに書いてある「買う前の10の質問」を皆が実行すれば、必然的にモノとのロングライフな付き合い方になるのだろうけど、それは、今の経済のシステムが許してくれないだろうよ。
あ、写真左の『生きのびるためのデザイン』の方が、よく推薦図書として紹介されることが多いけど、僕はというか、断然『地球のためのデザイン』の方が良いです。『生きのびる…』+『人間のためのデザイン』+α=『地球のための…』であって、彼の集大成だから。
ロングライフ(不老不死)か、サイクル(輪廻)か、、、
遅ればせながら、中沢新一,著『芸術人類学』を読み始める。(ずっと気になっていたけれど、タイミングとフトコロ具合が、微妙に逸れ続けていたのです。)
読み始めると、「ああ、もっと早くに読むべきだった!」なんて思うけれど、きっと今、このタイミングで読むのでよかったのだと思うことにする。(そして、実際にそうなのであろう。)
矛盾をいかに止揚していく(誤魔化す)かということが、僕の20代のテーマ(ドグマ)だったと思うのだけれど、この本を読み始めて、「副論理=バイロジック」という言葉を知り、ちょこっと新たな地平が見えた感じがする。
まだ読まれていない、興味を持たれた方は、ほぼ日の「はじめての中沢新一」を読まれることをおすすめします。
久しぶりに、『虹の階梯』が読みたくなった。
クリストファー・ダン,著『トロピカーリア―ブラジル音楽を変革した文化ムーヴメント』を読み終えた。これで、かどわき君に借りたブラジル(MPB)関係の本を全て読破。
前に読んだ、人物に焦点をあてて書かれた『トロピカリア』、そして、今回の学術的に書かれた『トロピカーリア』(ややこしいですね)を読んだので、ブラジル音楽を変革した文化ムーヴメント、“トロピカーリア”についてはおおよそ分かってきたのだけれど、こういう事象を理解するには、3冊(3視点)以上読んだ方が、より立体的に捉えられるということを経験的に学んでいるので、あと1冊読んでから、色々と思うことを書いていこうと思う。(逃)
その残り1冊は、もう決まっていて、トロピカーリアの中心人物、カエターノ・ヴェローゾ,著『熱帯の真実 Verdade Tropical』なのだけれど、2005年の11月に現在翻訳中となっているので、そろそろ出てもいいの頃なわけで、それを待っているわけです。
関係ないけど、ラマチャンドラン博士の『Art and the Brain』(1999)の翻訳もなかなか出ないなー。
写真のCDは、昨日発売された、カエターノ・ヴェローゾの『カエターノ・ヴェローゾ』、紙ジャケ、リマスター盤、解説・対訳付。
リマスターなのに、音がやけにぼんやりとして聞こえるのは、僕の耳の調子が(昨日、ロック系ライブに行ったので)悪いのか、それとも、借りているプリアンプのせいなのかは、よく分からない。