昔のデータを探していると、つまり、MOとか外付けHDDなどを求めて押し入れの奥底をさまよっていると、すごく懐かしいモノモノがでてきた(CASIO|QV-30)。
これは、デジカメが一般的になったときの初期タイプで、父から譲り受けたもの。画質が悪すぎてほとんど使いものにならなかったけど、これはこれで携帯とは違った味のある絵が撮れるのだ。
以外と液晶が大きいことに驚きつつ、昔の自分にこんにちは(2枚目の写真)。
このデジカメはメモリカード式じゃないので、画像を取り込むにはPCへの接続ケーブルが必要なのだけれど、これが見あたらなくて、まあ、どうせあってもシリアルポート(!)変換だから使えないので、今度、電気屋さんでUSB変換を探してみよう。
(この液晶を直接複写っていう手もあるが・笑)
ポラロイドも見つけたので、しばらくはカメラ系で遊べそう。
22日の高橋悠治さんの講義を忘れないうちにまとめておこうなんて思うが、これがすごく難しい。まるで悠治さんの電子音楽を聴いているかのような、ある種のランダム性を含んだモジュールの集積的講話。話をまとめようとすればするほど本質から離れてしまう危険性を孕むあれです。
ので、断片、僕の記憶に残っている話の断片を書くことにする。まず、Transculturation 。文化がA→Bに伝わり、Bで独自の発展を遂げ、今度はB→Aへと伝わり、またA→Bとなったり、B→Cに行ったりという意味だと理解したのだけれど、ネットで調べてみた限り、なんか違うような。僕の勘違いなのか。響きというか意味するところが気に入ったので、Tシャツを作ろうなんて思っていたのだけれど。
あと、耳が高周波を発しているというお話しが興味深くて、「聴くことは発することと同じ」とか、音楽とは「いかに空間をつくるか」とか。これを受けて、前に書いた天球の音楽のことを考えたり。
一番印象に残っているのは、ペットボトルの蓋を片手で開けようとするがなかなか開けられないでいる悠治さんだったりで、案外こういうところに真意があったりなんて。
関係ないけど、「りんこ日記」の装丁、かなり好み。
同居人のおつかいで、吉祥寺まで自転車で行く。同居人の欲しかったDVDは発売延期で買えなかったので、僕の欲しかったCD、KASSIN+2/FUTURISMO を買った。そういえば「プリンが食べたい!」と同居人が言っていたなと思い出し、ああ、アムプリンがあればなーと思うが、(北海道に行ってしまったので、)思っていても仕方がないので、東急の地下のC3でカラメッラを買う。
KASSIN+2、なかなかいい感じ(特に1曲目)だなと思いつつ、中原仁さんがライナーで書いていたように、この人は結局「ネアカ」な人なんだなと思う。アート・リンゼイの場合、これが「知性」となる。
相棒のミンコ(猫)の姿が見えないと思っていたら、雷に驚いてベッドの下に避難していた。僕は雷の音に負けじとエラ・フィッツジェラルドのモノラルLPを爆音でかけ、エラとフォーンセクションの高音が耳に刺さる快楽に溺れるのであった。
撮影初日。といっても僕はほとんど手伝わなくてもよいので、ストロボが光るなかモクモクと作業する。せっかくサイトを立ち上げたのに、見せるべきデザインの作品が載ってないじゃないか(!)ということで、今日は過去のデータを色々と漁る。
作品といっても、僕はデザイナー歴は3年くらいしかないし、(その半分はアシスタントだし) しかも、デザイナーといっても、その上にアート・ディレクターがいる場合がほとんどだから、自分が作りましたなんて言えないものばかりだし、ましてや最後の1年は死人同然だったから、その頃作ったものは何も手元に残っていないのだった。
ということで、とりあえず昔のオープン・ハンド・サービスのロゴを Works に上げておいた。これを作ったのが97年、つまり約10年前だということに驚く。
朝、起き上がると目眩と頭痛がするので、症状が治まるまでベッドで漫画を読む。お昼に、銀行から口座開設の準備ができたという電話がかかってきたので、半ば無理矢理起き、必死に自転車を漕ぎながら銀行へ向かう。ようやく、Open Hand Service の口座ができた。
帰りに、Studio K’s の山本さんが書いておられた、三鷹市美術ギャラリーへ開催されている「大岡信コレクション展」を見ようと思っていたのだけれど、口座開設に思ったより時間がかかったため、寄ることができなかったのが心残り。(28日までなので、まだチャンスはあるけれど。)
その後、久しぶりに「第三項音楽進化論」の講義に出席。なんてったって、今日のゲストは高橋悠治さんだもん。講義については、もう少し頭を整理してから書くとして、明日・明々後日と、家で撮影なので、その準備をしなければ。といっても、僕の仕事の撮影ではなくて、同居人の作品撮りなのだが。