長沼毅,著『世界をやりなおしても生命は生まれるか?』、読了(読み始めて、何年か前に読んだ、池谷裕二,著『単純な脳、複雑な「私」』と同じ「高校生との講義シリーズ」であることに気付く…)。
海底火山・地下に広がる生物圏、L-システムという生命のルールなどなど、刺激的な話がたくさんあったけれど、僕が一番惹かれたのは、第4章「生命は宇宙の死を早めるか?」の「生命は渦巻きだ」のところ、渦巻き=代謝する「パターン」→生命の本質はパターン? という流れ(痺れる)。
そして、「生命とは非平衡開放系における散逸構造である」ですか、ですよね。というわけで、久しぶりにプリゴジンを読み返したいと思います。
はい。
ここ数週間ほど断捨離に励んでいるのだけれど、その効果として、寝室の棚が一段空いたので、仮に「猫の部屋」として座布団などを敷いてみたところ、すっかり気に入ってしまわれたみたいで、一日のほとんどを自室で過ごされているご様子…
(なので、なかなか会えなくてさみしい、のでした…)
日曜は、ふらっととらや工房へ。笹だんごと串だんご(田中屋本店謹製)をいただく。隣接する東山旧岸邸も、建もの探訪的に楽しむ。
うむ。
大和田俊之,著『アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』、ようやく読了。
「偉人」を中心に語られる歴史ではなく、「社会の力学」を中心に描く歴史、つまり、エイドリアン・フォーティーの『欲望のオブジェ』や『言葉と建築』の音楽版かも、と思い、買い求め読み始めたのだけれど、内容は多分そんな感じ(笑)。
“アメリカのポピュラー音楽を駆動してきたのは「他人になりすます」欲望である”(今の分かりやすい例でいうとレディー・ガガ?)、つまり、<偽装>をテーマに読み解いていくのだけれど、なかなか興味深いです、よ。
あと、黒人の音楽、白人の音楽、という風に簡単に分けれない(お互いに<偽装>している)ことや、そこに、ヒスパニックやラテンアメリカという第三項の導入なども、ふむふむ。
以下メモ:
ビバップの成立よりもモード・ジャズの完成の方がはるかに重要、という解釈(非西洋、コードという重力からの解放)。「カインド・オブ・ブルー」の水平性、空間性。
中世ヨーロッパからのバラッドの伝統、アフリカや南米経由の黒人文化、この2つの融合を象徴するのがエルヴィス・プレスリー(ビートルズやローリング・ストーンズよりも重要、という解釈)。
帰省のついでに立ち寄った美術館その2、入善にある下山芸術の森「発電所美術館」。写真は、館外に伸びる導水管。
元発電所な美術館というと、テートモダンを思い出してしまう僕ですが、こちらは火力ではなく水力発電所跡、しかも、1995年オープンだそうなので、テートモダンより古いじゃないですか(富山に住んでいたのに知らなかったという…)。
趣き深い大正時代のレンガ造りの建物、その中に発電用タービンや導水管が残された(工場萌え的な)広い展示空間、そこに音と光と水を使った現代アート(僕が行ったときは「ニュートラル・プロダクション展」でしたよ)。
こういう興味深い特殊な空間、良いです。自分だったらどう使うだろう(アートティストじゃないけれど)とか、あのアーティストだったらどう使うだろうとか… 今後にも期待です(喫茶「HABA」も良かったし、アイスコーヒーも美味しかったし)。
あ、さっき HITSPAPER で見た黒川良一さんの「Octfalls」なんかも良さそうかも(ベタ過ぎかも・笑)。
かも。