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Archive: Music

偶有性

買っておいた、BRUTUSをダァーッと読んだのは昨日のこと。今号の特集は「脳科学者ならこう言うね!」ということで、茂木健一郎さんがフィーチャーされている。

内容は、とても面白く・刺激的で、書きたいことも色々とあるけれど、僕的には、特に“偶有性”という言葉に惹かれた。

“偶有性”とは、「半ば予想できて、半ば予想できない。半ば規則的で、半ばランダムな現象の性質」のことらしく、なんだか自分の好きなもの、やりたいことを端的に表している言葉だと思ったのだ。

例えば、僕の好きなブラジルのポピュラー音楽で言うと、基本的にはグローバルなポップスやロックなどの影響を受けつつも、(日本人の僕にとっては)意外なリズムがあったり、メロディの組み合わせだったり、展開があったりして、それが非常に「うわぁ~」と快感だったりする。

僕の目指しているデザインも、まさにそういうことで、「違和心地良い」なんて言ってきたけれど(笑)、これからは「偶有性を含んでいるのです」なんて、知的そうに言えばいいのだ。

ナニゲに続く…

Devendra

devendra

風邪で寝ている間、寝室のBOSEでヘビロテだったのが、上のひげもじゃの彼、デヴェンドラ・バンハート。フリー・フォークの旗手。

僕が彼に興味を持ったのは、去年の10月に買ったシベーリの『デンキ仕掛ケノ枯葉』についていたボーナスDVD(写真左)を見ていたら、「この人、知ってる」と同居人。シベーリとデュエットしているひげもじゃの彼が、ベックの『Information』のDVDにも出てるということで、すぐに確認(写真左)。おお、確かに、巨大な櫛でベックの髪をとかしているではないか。が、きっかけ。

さらに、ライナーノーツによると、彼が「10代の頃にもっとも影響を受けたアーティストは、カエターノ・ヴェローゾ」だそうだし、何よりもシベーリとデュエットしている「ロンドン・ロンドン」(カエターノの曲)がとても好印象だったので、ならば、買って聴いてみようではないかということに。

それで、彼の一番新しいアルバム『クリップル・クロウ』を買い、始めは、そんなでもなかったのだけれど、その全体的な“ゆるさ”と、個性的な(独特な魅力のある)ヴォーカルに、じょじょにハマっていったわけです。(ゆるゆるふわふわなんですよ。)

素晴らしいです。デヴェンドラ・バンハート。

Best Album of 2006

Best Album of 2006 といっても、2006年リリース限定というわけではなくて、今年、僕が「最も心惹かれた音楽」を記しておく行為です。
 
 
Moreno+2 『Music Typewriter』/
 
moreno2

 ブラジル・ネオ新世代の3人、カエターノ・ヴェローゾの息子、モレーノ、アーティストでドラマーのドメニコ、プロデューサーのカシンによる(いわゆる「+2」ユニットの)最初のアルバム。僕は、今年の5月に発売された「カシン+2」によって、初めてこのユニットの存在を知り、興味を持ち、6月のライブに行き、残りの「モレーノ+2(2000年)」と「ドメニコ+2(2002年)」も気になり、友人にCDを貸してもらい、最初は、そんなでもなかったのだけれど、気が付くと大好きになってしまっていた系。
 「ドメニコ+2」も「カシン+2」もそれぞれに個性的で素敵なアルバムだけれど、僕的には、この「モレーノ+2」が非常にフィット。モレーノのヴォーカルは、父親であるカエターノ+アート・リンゼイ÷2という感じで、ファルセット一歩手前というか、なんとも僕好みのマージナルな感じで、さらに、アルバムの楽曲も、ギターの弾き語りから、ロック、ファンク、ハードな曲まで、バランスよく入っているところが、また素晴らしい。(全然、うまく書けていませんが、とにかく素晴らしいのですよ)
 
 
ジルベルト・ジル 『声とギター ジル・ルミノーゾ』/
 
gilluminoso

 1999年に出版された『ジルミノーゾ』(ジルが作った曲の歌詞やインタヴューを中心に、写真やイラストを盛り込んだアート・ブック)に付属されていたCDを単独で発売したのが、このアルバム。ジルベルト・ジルは、あまり聴いていないのだけれど、例えば、ジョルジュ・ベンといっしょにやっているものや、アンプラグドなんかは好きだったし、「声とギター」というスタイルも大好きなので、このアルバムについては、良さそうな予感はあったものの、ここまで奥に入ってくるとは思わなかった。
 中原仁さんが、ライナーノーツで「まずは耳で感じよう。そしてじっくりと噛みしめ、味わおう。」と書かれているけど、まさにその通りで、聴いているだけでもちろん素晴らしいのだけれど、しばらくすると、自然に歌詞カードを見ている自分がいるのだな。完璧なギター、ヴォーカル、そして詩が、三位一体となり、この訴求力を生み出すんじゃなかろうか。
 願わくば、LPでも発売して欲しい。なぜなら、このアルバムは、6曲目の「テンポ・ヘイ」までがA面、残りがB面という構成の方が素晴らしいと思うから。
 
 
それでは、よいお年を。

交響曲

ここ数日の間、頭痛がひどくて大変だったのだけれど、ようやく復調。昨日、久しぶりに、大井町にあるワインバー LA CANTINETTA にて、おいしいワインをたくさん飲んだのがよかったのかもしれない。たまには贅沢せねば。

バーでの会話で、「のだめ → ベートーヴェン交響曲第7番 → 5・6・7番は完璧 → いや7番は嫌い…」のようなクラシックの交響曲系会話でしばし盛り上がったのだけれど、僕が「シューマンの交響曲も好きですね」というと、隣の席の方が「僕は3番が好きだな。確か『ライン』だったっけ?」と返されるが、「好き」と言っておきながら速答できない僕。。

そうして、「好き」という記憶はあるけれど、どんな曲だったかも思い出せないくらい忘れてしまっていることに気が付いたのでした。そういえば、今年は近年希にみる「クラシックを聴かない」年だった。

ということで、今から、シューマンの交響曲を聴こうとしているところ。(確かに、第3番は『ライン』でした。)

あと、クラシックで「誰それの何番」という言い方が分かりにくいと、よく聞くけれど、例えば、「僕は、ベックのサード(3枚目)が好きだな」というのと大差はないと思う。でも、その時代に生きていて、発表されたのを順番に聴いてきたわけじゃないから、やっぱり分かりにくいか。

労働歌

そうか、労働が機械化されることによって、労働歌というものが消えてゆくのか。

というのが、2週間ぐらい前に参加した『ディープ・ブラジル上映会』のときに印象的だったこと(のひとつ)で、そういえば、この日本も、江戸時代なんかは、歌で溢れていた(らしい)ということを思い出したり。

僕の労働も、機械化されているけれど、労働歌だって機械化されている。

音楽を聴きながら、やりたくない仕事をしていて、ふと、そんなことを思ったのでした。