暖冬のため、昼間は暖かいので、障子を開け放ち、まさに開放的にオーディオ三昧といきたいところだけど、お隣さんがいるから大きな音は出せない。
お隣さんが出かける夕方頃には、段々と冷えてくるので、障子を閉めざるを得ない。障子を閉めると音が反響してしまうので、せっかく大きな音が出せても、あまり楽しめない。(家は猫対策のため、普通の障子紙ではなく、中にプラスチックが入っているワーロン紙だから余計に響くのです。)
今日は、金曜日。お隣さんがお昼から出かける日だ。この日だけは、午後の暖かい時間帯に、思う存分にオーディオ的悦楽に浸れる。
しかし、今日は耳の調子がよくない、、、うまくいかないものね。。
昨日は、我が家で、第2回「8ビートの会」。会といっても、ただお話をしながら好きな音楽をかけていくだけ。でも、これが一番楽しいことだったりもする。今回は、ゲストにアサノさん、そして、その友達のスズキくん。
一生の内にひとりの人間が知りうる・聞けることのできる音楽は限られている。しかも、興味があっても、聞いたことのないジャンルに足を踏み入れることって案外難しいし、好きなジャンルにしても、盲点があったり、灯台もと暗し的なことがあったりして、自分にとっての「名盤」を聞き逃している可能性は大いにありうると思う。
だから、こうやって、音楽好き同士が集まり、互いに好きな音楽を教え合い・補完し合うことが、重要になってくるわけだ。(と、偉そうに書いておきながら、本当は、ただ楽しいからやっているだけです。)
写真は、今回の僕のおすすめ盤、デヴェンドラ・バンハート『Rejoicing In The Hands & Nino Rojo』(2LP)。
お借りしているマークレビンソンのプリアンプの音の傾向を考えていると、「そうだ、これはアート・リンゼイの音楽に合うかもしれない」と思い、彼のソロ名義のアルバムを全て聴いてしまったのは、昨日のこと。
コントロールされた暴力性とでもいいましょうか。
そして、今日。マークレビンソンに別れを告げ、もとのアキュフェーズに戻し、ぐちゃぐちゃのややこしいケーブル類の接続を終え、左右のチャンネルがちゃんと合っているかどうかを確かめるため、ジョアン・ジルベルトの『三月の水』をかける。
なぜ、『三月の水』かというと、ジョアンのヴォーカルが左に寄っている(声が左、ギターが右という感じ)からなのだけれど、これがなぜか、とんでもなく素晴らしい音で鳴ってくれて、まるまる聴き通してしまう。本当に、パーフェクトにエクセレントなアルバム。
しかし、最後の曲「イザウラ」だけは、このアルバムにはそぐわないんじゃないかと、聴く度に思ってしまうのも事実。(ジョアンもこの曲の録音には満足していないそうだし)
それにしても、最近のアート・リンゼイを見て愕然としてしまったのは、僕だけなのだろうか。ああ!
音と戯れる会で巡回中のプリアンプ、マークレビンソンのNo.38SL。お借りしているプリアンプとは、これのこと。
マークレビンソンは高級機だらけだから、僕なんかが使う機会なんて一生ないだろうと思っていたけれど、今、現実にそこにあって、試聴しているわけで、要するに、なんだか不思議な感じなんです。
肝心の音は、「図太く冷徹」といった印象。筐体のデザインからイメージする音に、割と一致しているかもしれない。(そういえば、写真のロゴマークの右上端、kの横にあるのはなんなのだろう?)
しかしながら、電源を入れたばかりの音には(悪すぎて)驚いた。電源投入後1日以上経たないと起きない、3日目から本気という、恐ろしくスロースターターなアンプ。
誤解を恐れつつ(笑)書くと、プリアンプって「だし」みたいなものかなーと思う。透明な出汁。
先週の金曜に、東大(駒場)で、池上高志さんの研究室主催による、松下電器の飯田一博さんのセミナーを聞いてきたのだけれど、結局、分かったことよりも、分からないことが増えて困っている。
「ヒトの耳は2つしかない…なのになぜ3次元方向の音の位置が分かるのか?」というお題目のもと、HRTF(Head-related Transfer Function:頭部伝達関数)のことや、色々な興味深い実験についてのお話しを聞くが、肝心なところで、池上高志さんが話の腰を折り、折りまくり、実験方法や実験結果の信憑性に影響を与え、、、少なくとも僕は混乱するはめに。
視覚的に確認できるものは、写真や映像で比較的簡単に提示することができるけれど、音は、実験結果だけになりがちだから、誤解が起きやすいのかもしれない。
「今のは、全周波数でお聞かせしましたが、次は、P、N1、N2だけにしてみますね」
とか言って、聞かせれば早いのだけれど。
オーディオも聴いてみなければ分からない。だから、実際にみんなで音を聴いて議論している「音と戯れる会」は、貴重な場なわけです。