芸術における「クオリティ(完成度)」について、結構長いスパンで考え続けている。越後妻有アートトリエンナーレで感じたクオリティの低さ、あるいは格差は、僕にある確信めいたものをもたらした。(このトリエンナーレについては、REAL TOKYO にて小崎哲哉さんが触れられていて、これにはすごく同感。)
学生の頃には、「クオリティよりもコンセプト」もなんてほざいていたけれど、そういう考え方は、科学的細分化のもたらした弊害であって、「クオリティ」も「コンセプト」の具現の重要な要素であることに気付いていなかったのだ。(例えば、池田亮司が指摘しているように、ミースから完成度の高さを除いたらどうなるか、または安藤忠雄からクオリティを奪ったらどうなるかを考えて欲しい。)
「どちらか」という考えは捨て、もっと「包括的」に考えるべきなのだ。なんて。
今日、8月2日は、ユラ・デー。(詳しくはリンク先を参照してください。)
ということで、ユラさんから受け継いだKENWOODのレコードプレーヤー「KP-7010」、そして、アキュフェーズのプリメインアンプ「E-406V」、さらに、DIATONEの「DS-3000」(これは後からやってきたユラさんが使っていたスピーカー)で、これまた受け継いだ膨大な数のLPでも聴くとしよう。
と思っていたのだけれど(笑)、レコードをがさこそと見ていると、「これ最近聴いてないなー」とか「これやばいよなー」とかいう感じで、「やっぱり今聴きたいのを聴かなきゃね」ということになる。ユラさんは歌曲好きだったみたいだけど、残念ながら、僕にはまだその良さが分からないのだ。
オーディオの世界にのめり込んで3年。ようやく、色々な意味でのバランスが取れてきた感じがする。後は、KEFが治ればほぼ安泰。
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よいニュース。CSで「新スタートレック」がスタート。何を隠そう僕の一番の憧れの人は、ピカード艦長なのである。彼になら抱かれてもいい(笑)。
悪いニュース。ビョークの『サラウンド』が、さらに発売延期。今度は、8月23日前後だそうです。。(これって、アマゾンだけ?)
そういえば、1ヶ月前ほどに、タワレコに『サラウンド』の輸入盤がならんでいるのを見たので、日本盤が発売延期しまくっていることだろうか。
日曜に、越後妻有アートトリエンナーレの拠点のひとつである、里山科学館=越後松之山「森の学校」=愛称「キョロロ。」に行ってきた。(設計は、手塚貴晴+由比。)
奇抜な建物に対しての運用・維持・管理側の対応は、農舞台よりもよいと感じる。と言っても、どちらもあまり変わらず、結構、いや、かなりイージー。この辺が、直島と全然違う。全体的にゆるい。これをよしとするか否か。でも、「キョロロ。」の方が、展示も童心にかえったのごとく楽しいし、建物も、僕はこちらの方が好き。
土曜は、フジロック、今日は、(プチ)越後妻有アートトリエンナーレ。ということで、さきほど、新潟より帰還。ヒロウコンパインなので、詳細は、明日からネチネチと書くことでしょう。
お昼に、小嶋屋で食べた「へぎそば」が、相変わらずうまかった。お店が新しくなっていて驚いたけれど、量も味もサービスも変わらずで、よい。そば屋で、千何百円でお腹一杯って、なかなかないと思う。(知らないだけかもしれないけど。)
帰って、玄関を開けたら、猫が全裸で待っていた。
武士のたしなみ「孫の手侍」(背中の痒みを斬るっ!)と、ニャンときまぐれ「ねこにゃんぼぅ」。キャッチコピーが、やばい感じに秀逸。(「孫の手侍」は、写真じゃ分かりにくいかもしれないけれど、剣の先端が孫の手になっています。)
こういう下らないものを結構好きだったりするのだけれど、「ねこにゃんぼぅ」は、本物の猫の肉球に毎日触れている僕には、いらなかったかも。全くかなわないですから。
こんなことを書いていて、思い出したのだけれど、僕はその昔、「卓球ヌンチャク」とか「サウンドラケット」とか「フラッシュラケット」などの(ある意味下らない)卓球ラケットを作っていたわけで、上のようなものが好きなのは、なんかうなずけるというか。というか、早くそれらを Works の方にアップしなければ! と思うのであった。