大和田俊之,著『アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』、ようやく読了。
「偉人」を中心に語られる歴史ではなく、「社会の力学」を中心に描く歴史、つまり、エイドリアン・フォーティーの『欲望のオブジェ』や『言葉と建築』の音楽版かも、と思い、買い求め読み始めたのだけれど、内容は多分そんな感じ(笑)。
“アメリカのポピュラー音楽を駆動してきたのは「他人になりすます」欲望である”(今の分かりやすい例でいうとレディー・ガガ?)、つまり、<偽装>をテーマに読み解いていくのだけれど、なかなか興味深いです、よ。
あと、黒人の音楽、白人の音楽、という風に簡単に分けれない(お互いに<偽装>している)ことや、そこに、ヒスパニックやラテンアメリカという第三項の導入なども、ふむふむ。
以下メモ:
ビバップの成立よりもモード・ジャズの完成の方がはるかに重要、という解釈(非西洋、コードという重力からの解放)。「カインド・オブ・ブルー」の水平性、空間性。
中世ヨーロッパからのバラッドの伝統、アフリカや南米経由の黒人文化、この2つの融合を象徴するのがエルヴィス・プレスリー(ビートルズやローリング・ストーンズよりも重要、という解釈)。
最近、聴いているものメモ。アドリアーナ・カルカニョット『O Microbio Do Samba(サンバの微生物)』と、テレボッサ『Telebossa』。
アドリアーナの新譜、このビデオを見てもらえば雰囲気は一発で分かると思うのだけれど、シンプルな構成ながら、リノベイトされたドラム・セット(詳しくは大洋レコードさん参照)や様々な小道具が実に利いていて… というか、この変形ドラム、ウッドベース、ガットギターによる再構築されたサンバのグルーヴが僕的には気持ち良すぎ、大好物(ほとんどの曲がマイナー調というのも私的に吉)。
そして、テレボッサ。うーん、怪しい(笑)。ドイツで活動しているらしい、実験的な音楽をやっていたというブラジル人(歌とギター)とドイツ人(チェロ)によるデュオ。一聴、普通(?)の暗めのボッサなのだけれど、そこかしかに漂う怪しさ(いきなりホーミーのようにになったり!)がたまらなくツボ。
というわけで、少しだけブラジル回帰しています。
はい。
sonihouse さんの十二面体スピーカー「 scenery(シナリー)」がPAに使われる、ということで、世田谷ものづくり学校で行われたライブに行ってきたのだけれど、一組目のアーティストさん、(シナリーを使わずに)円筒形のガラスにユニットを突っ込んだ(?)スピーカーを使っていたアーティストさんの音に、僕の弱い耳がダメージを受けてしまい、二組目をなんとか聴けたけれど、結局、大事を取って早退… 残念。
でも、ひとつ気付いたことがあって、シナリーの音はダメージを受けた後でも、耳に変な圧迫感を感じないということ。確かに、耳の調子が悪いときでも自然音に対して圧迫感は感じないから、それだけシナリーが自然音に近いということかもしれない。
うーん、やっぱり欲しいなー、シナリー(笑)。
先日、ソニハウスさん主催の家宴(vol.8「花もある。」)に参加すべく、奈良へ。多くのイベントが自粛ムードな今、こんな時期に、ではなく、こんな時期だからこそ、開催し、そして参加することの意義(というような大げさなことだけではなく、一度関東を離れてみたかったという気持ちがあったのも事実)。
結果的に、行ってよかったー、と素直に思えるほどの素敵な宴(!)。
だったのだけれど、関東に戻って来ると、なんとなく世に漂う無力感や倦怠感に再び同調(?)してしまい、うまく感動を伝える文章が書けなくなってしまっているわけです。
うーん。
というわけで(?)、西から元気になっていってもらおう、と思うのでした。
細々と再開していきますよー、と書きながら全然書いていませんが(笑)、オーディオの方はこんな感じにリセットしたのでした。
Twitter をお読みの方はご存知かと思いますが、耳を悪くしてからというもの「脱オーディオ」を標榜している僕なわけですが、まあ、なんというか、元オーディオマニア的オーディオといいますか、えー、結局何を目指したかといいますと、自分が「音楽好きにはこれくらいのオーディオで聴いて欲しいなー」と思っていたシステム。
スピーカーは Rogers の LS3/5A、アンプ・CDプレーヤーは LINN の CLASSIK(sonihouseさんも絶賛! )。いやー、良い音、「音楽的な音」(デザインもいうことなし)。
そして、初めての巨大なテレビ(40インチ)。これは音楽を長時間楽しめなくなったので、かわりに映像を楽しもうじゃないか、ということ。
後は、TVボードの左側に置くターンテーブルの台を入手するのみ。
うん。