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デジオ

そういえば、関西に行ったとき、デジオにゲスト出演(!)させていただいたのでした。ひとつは、デジねはで、もうひとつは、デジオの穴

“録音された自分の声”を聴くといつも思うのだけれど、やはり“自分がいつも聴いている声”と違う。声が低いし、小さい。このことからも、“自分が捉えている現実”は、“現実”ではない(笑)。

あ、デジねはでは(リンク先の)他にも何本か出させていただいていて、あまり明るくないオーディオの話(?)なのだけれど、このことについてはすでに意見が変わって(揺れ動いて)いたりするので、また改めて書きます(逃)。

コントロール

最近よく思い返す言葉があって、それは「観客にお芝居を見せる目的な何でしょう?」という問いに対する犀川先生の(2つあるうちの1つ目の)答えで、芸術性、つまり「演出して観客が喜んだり驚いたりする、その反応が目的」、要するに、

「他人の感情を一時的にでもコントロールすることは、ある意味で人間の欲望を刺激する」

ということなのだけれど、「コントロールする」なんていうと、なんだか悪っぽいイメージ(笑)が先行しがちに思っていたけれど、喜ばせたり、幸せな気持ちにさせることも、ある意味「コントロールしている」のだなと。それが「欲望を刺激する」のだなと。

そんな僕も、このエントリーを読んでもらって「なるほど〜」という感じに、他人の感情を「コントロール」したいのかもしれない。

コントロール。

sonihouse

奈良、sonihouse、新しくなったサウンドシステムを聴く。初代の黒い子と比べ、サイズの拡大、ユニット構成の変更、構造的な強度向上など、バージョンアップした十二面体スピーカーを中心に、トランス追加などのさらなる電源対策が施されたシステムを聴かせていただく。

まず、力強さ。以前は、ただただ心地よい、漂うようなナチュラルなサウンドだったように記憶していたのだけれど、今回は、線的、芯的な表現が強化され、音の存在感の向上に繋がっている、ように感じる。

そして、広くなったサウンドステージ。以前は、部屋の1/3くらい、スピーカー周辺にサウンドステージが現れ、あたかもそこの空間で音楽が鳴っているような、客観的なものだったように記憶していたのだけれど、今回は、部屋の2/3くらいまでサウンドステージが(密度を増しつつも)広がり、音楽との関係がより深まった(?)、ように感じる。

さらに、ウーファー部も新たに作る計画があるそうなので、うーん、どうなっちゃうんだろう、楽しみであります(MPさん、ありがとうございました!)。