
昨日は、アイデアに行き詰まったので、気分転換、東京都現代美術館、池田亮司展。
うーん、マッチョ(笑)。そして、ストイック、、、(うまく書けないので一日置いてみる)。が、うまく書けないのであきらめる。なんだろう、 [ the infinite between 0 and 1 ] というタイトルの通り、“その間”にあるのかもしれない(抽象逃げ)。
あ、「マッチョ」という表現は、MPさん・ANさんといっしょにサントリーミュージアムに行ったときに獲得した表現で、『インシデンタル・アフェアーズ』という現代アート入門的な展覧会だったのだけれど、ほとんどの作品がタイトル通り(ある意味/良い意味で)「とるに足りない」ものだったのに対し、ひとつだけ場にそぐわないマッシブ(!)な宮島達男氏の作品があり、それに対してMPさんが「マッチョ(笑)」だと。
若い世代のアートの潮流が、ある種の「軽さ」を持っているように感じていて、それは音楽の世界にもいえることだと思っていて、要するにハングリーだとか真摯さだとか狂気だとか、そういう圧倒的なものでもってどうこうするのではなくて、日常的に潜む、あれにあれするみたいな「軽い」衝動でいいんでじゃないの、、、
うーん、自分で反論できちゃうなー(笑)。また書きます(逃)。
あ、写真は現代美術館地下駐車場にて。
そういえば、関西に行ったとき、デジオにゲスト出演(!)させていただいたのでした。ひとつは、デジねはで、もうひとつは、デジオの穴。
“録音された自分の声”を聴くといつも思うのだけれど、やはり“自分がいつも聴いている声”と違う。声が低いし、小さい。このことからも、“自分が捉えている現実”は、“現実”ではない(笑)。
あ、デジねはでは(リンク先の)他にも何本か出させていただいていて、あまり明るくないオーディオの話(?)なのだけれど、このことについてはすでに意見が変わって(揺れ動いて)いたりするので、また改めて書きます(逃)。
最近よく思い返す言葉があって、それは「観客にお芝居を見せる目的な何でしょう?」という問いに対する犀川先生の(2つあるうちの1つ目の)答えで、芸術性、つまり「演出して観客が喜んだり驚いたりする、その反応が目的」、要するに、
「他人の感情を一時的にでもコントロールすることは、ある意味で人間の欲望を刺激する」
ということなのだけれど、「コントロールする」なんていうと、なんだか悪っぽいイメージ(笑)が先行しがちに思っていたけれど、喜ばせたり、幸せな気持ちにさせることも、ある意味「コントロールしている」のだなと。それが「欲望を刺激する」のだなと。
そんな僕も、このエントリーを読んでもらって「なるほど〜」という感じに、他人の感情を「コントロール」したいのかもしれない。
コントロール。