pseudo-Pollock Chair
最近、猫が、僕の(エセ)ポロック・チェアを半分占領するので、深く座ることができないでいる。逆に、姿勢が良くなっていいのだけれど。。
それにしても、この猫、顔面直射日光なのに眩しくないのだろうか。。
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最近、猫が、僕の(エセ)ポロック・チェアを半分占領するので、深く座ることができないでいる。逆に、姿勢が良くなっていいのだけれど。。
それにしても、この猫、顔面直射日光なのに眩しくないのだろうか。。
カエターノ・ヴェローゾ『Ce^(セー)』の日本盤が、ようやく(昨日)発売された。僕は、歌詞の日本語訳と中原仁さんのライナー・ノーツが読みたかったので、3週間前に発売されているEU盤を横目に、試聴もせずに、この日本盤の発売を待ちに待っていたのだ。(結局、ボーナス・トラックは付かなかったけれど)
昨夜、お隣さんが外出するのを見計らって、大音量で聴いたのだけれど(途中、ちょっと耳がおかしくなったけれど)、まさに「ロック」で、「ライブ」な感じ。ラジオで、3曲目の「Rocks」を聴いてからは、正直言って、このアルバムの出来を疑っていたのだけれど(汗)、そんな心配をよそに、大いに楽しめたわけだ。カエターノ+ペドロ・サーというイメージで間違いはないでしょう。
ついでにポイントカードで、シベーリ『デンキ仕掛ケノ枯葉』を買う。帯に「カエターノ・チルドレンの新世代シンガー、シベーリ。エレクトロニカ、フリーフォークと繋がる新感覚のオルタナティヴ・ブラジリアン・ミュージックの傑作!」と書いてあったことと、解説が、渡辺享さんだったので、買ってみたのだ。
んーむ、僕にはちょっとオサレ過ぎるようだ。
あと、カエターノの前作『Onqoto^(オンコトー)』が発売されていたそうだ。知らなかった。。
今度、日本に入るときには手に入れたい。
活字、やはり良いです。沁みます。昨日で最終日だった『印刷解体 vol.3 LAST!』にて購入。
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『FLOW─韓氏意拳の哲学』より、本日の抜粋(笑)。
世界は彼方にあるものではなく、ここにまさに「ただそうある」という存在としてあるのだが、なかなかそれに気づけない。
気づけないのは、生きていると「生きている事実」に慣れてしまい、「これも見た。それも見た。あれはこれと同じだ」と同定していくことが社会性のある判断であり、客観的な見識だと思いがちになってしまうからだ。
「これも見た。それも見た。あれはこれと同じだ」っていつも思っている自分を戒めます。
尹雄大(ユン・ウンデ),著『FLOW─韓氏意拳の哲学』について書きたいのだけれど、うまく書けないでいる。頭がコンガラガル。
わからないことに出会って、それをわかっていくには、何かにたとえたり、なれ親しんだ概念に引きつけて理解していくのが定石だが、韓氏意拳の場合は、既に知っている事柄に置き換えたとたん、それが意味しているものとまったく違うものになってしまう。俯瞰で眺めることもマッピングすることもできず、森が深いことはわかっても、まるで道が見当たらない感じに似ている。
と前書きにあるのだけれど、まさにそんな感じで、さらに言えば(引用すれば)、
哲学と聞けば体系化され、整然として、順序さえ間違わなければ段階を追って理解できるイメージがあるが、韓氏意拳の学理は矛盾した表現を多用し、言葉の前後だけを見れば辻褄が合わなかったりする。また、これまで経験したことのない「未知」を把握することを要求するので、単純に字面を追うだけでは理解できない。
というわけで、「つまりは何かを発見するというよりは、すでに備えている認識のあり方を問うことに」なっているわけです。
韓氏意拳、学んでみたい。
アリメさんにお借りしていた、アドリアン・フォーティ,著『欲望のオブジェ デザインと社会 1750-1980』を読み終えた。
もの、いいかえれば製造品のデザインは、ほんらい、社会的・経済的なさまざまな要因のからみあいのなかから生まれてくるものだ。にもかかわらず、ペヴスナーをはじめとする従来のこの分野の歴史書は、あたかもそれがアートと同じような純粋な創造的営為であるかのように扱い、したがってデザイナー個人に過大なスポットをあててきた、と著者、アドリアン・フォーティはいうのである。
とすれば、新たに書かれるべきデザイン史は、いきおい社会史の相貌をおびざるをえない。(後略)
上は、「訳者あとがき」からの抜粋で、簡単にいうとこんな内容の本。(アートが純粋な創造的営為であるかは疑問に思うけれど)
たんたんと経済・社会史的に、プロダクトデザインの変遷を追っていくのだけれど、これはこれで、こんなに理路整然と説明できることなのだろうかと、僕なんかは思ってしまう。確かに、デザイナーにスポットをあてすぎるのは、問題だけれど。
と懐疑的になってしまっているのは、お隣の本、尹雄大(ユン・ウンデ),著『FLOW─韓氏意拳の哲学』を読んでしまったからで、続く。