ビョークの『サラウンド』、楽しい(笑)。
期待以下ではなくて、期待通り。何曲か「おぉおー!」というのがあるけれど、後は、「こうなるだろうな」って感じ。といっても全部全部聴いたわけではないのだけれど。(『ポスト』のあのミュージカル風な「It’s oh so quiet」はかなり楽しい)
ある意味、ベックの『Guero』の5.1chを聴いたときの感想に似ているかも。サラウンドの効果はあるけれど、楽曲的に貢献しているかという点ではやや疑問な感じ。(といっても、『ヴェスパタイン』以降はもちろん素晴らしいです)
あと、この『サラウンド』は、デュアルディスク(片面がCD、もう一方の面がDVDという両面型のディスク)でのリリースなのだけれど、やっぱりDTSでは、SACDマルチの音質にはかなわないのだな(まあ、当たり前だけど)。サラウンドを広めるということ、たくさんの人に聴いてもらうということを考えても、当然でしょうな。
サラウンドといえば、YCAMでのサウンドインスタレーション『filmachine』。数人に「9月に行くんだ」なんて言ってましたけど、雲行きが怪しくなって来ました。でも、カールステンの『シンクロン』同様、こういう作品は体験しかないですから。
発売延期すること2回、約2ヶ月も待った、ビョークの『サラウンド』(国内盤)が届いた!
早く隣人が外出することを望むのみ。(大音量で聴きたいので)
帰省したとき、実家に、生後5ヵ月の黒いラブラドールがいたのだけれど、その純粋無垢な瞳には悪いのだけれど、僕は、やはり犬が苦手。あの「かまって攻撃、うるさい息、臭い、舐められたときの感触」、、、なんていう理由は後付けなのであって、とにかく生理的に苦手なのだ。疲れるのだな。
これは対人関係にも言えることで、僕は、お笑い芸人のような騒がしい人は苦手で、猫のように静かだけれど、芯がある、存在感のある人が好きだ。そして、僕がちょっかいをかける。そういうペース、スタンスが好き。
つまり、犬が苦手で、猫が好き。それだけ。
今日のお楽しみは、J-WAVEのアーバン・リゾートな『SAUDE! SAUDADE…』。なんてったって、「ブラジルでは9月初旬、日本では10月に発売予定の、ブラジリアン・ミュージックのリーダー、カエターノ・ヴェローゾのニューアルバムを、どこよりも早く “先がけ” でオンエア出来ることになりました。」ですから!
今回のアルバムは、ペドロ・サーとモレーノのプロデュースだから、ブラジル新世代好きの僕にはたまらん作品になること間違いなし。64歳のロック。タノシミデス。(ペドロ・サーといえば、ペドロ+2(+3?)のリリースの噂は本当なのだろうか。)
ということで、久しぶりにトリオのFMチューナー、KT-8300を押し入れから出したり。
後は、高校野球の決勝。ハンカチ見れれば本望。
これから、『武学探究 (巻之二)』の感想を少しづつ書いて行こうと思う。というのも、僕の頭のなかはこのことでいっぱいだから。
では、さっそく得意の抜粋(笑)。
(前略)思考は二次元なのです。つまり思考による論理的説明では本質的に二次元を超えられず、三次元である人間の動きは説明できないわけですね。
甲野さんの、この「思考は平面的」であるという意見に対して、光岡さんは同意し、原始仏典から『鏡面王と盲人』という話を引用するのだけれど、この話の言うところが、以前に書いたパスカルの『パンセ』のなかの一節とほぼ同義だったことに驚いた。約二千年も前にシャカが気付いていたと。
この本には、他に老子とか荘子の引用もあるのだけれど、古典というか講話というか物語の効力を思い知るのだった。身体から意識の乖離という変化、人間の意識肥大の第一段階というべきものが、宗教発生に関係しているだろうか。なんて妄想してみたり。
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あ、「思考は平面的」について言えば、ラマチャンドラン教授も、
人間の脳には1000億の神経細胞がありますが、二つのパターンが重なりあうことはないのです。別の言いかたをすれば、注意のボトルネックがあるわけです。どうやら、注意のリソースは、一度に一つのものにしか配分されないらしいのです。
と、このように書いていることだし、多分そうなのだろう。
実に興味深い。
そして、「感覚も平面的」に続く。